私は今日、メルカリで泣いた
私はメルカリの面倒なやり取りが嫌いである。数百円のものを「お値下げ可能ですか?」と聞かれると本当にうんざりする。
その一方で、品物をただ封筒に入れて送るだけなのは何となくぶっきらぼうな感じがして、私は売れた品物を包むときには手書きでメモを入れる。「この度はお取引のご縁をありがとうございました」とだけ書く時もあれば、もう一言添えることもある。
数日前、520円で半年以上前に出品していたとある詩集が売れた。値引交渉はなかった。
それは、14年前に実家の母が私に送ってくれた詩集だった。離婚して鬱を発症し、食べ物が全く喉を通らなくなり、友達に会う気力もなく、今にも消えそうな影のように暮らしていたころだった。
それまでの人生の中で、母に叱咤激励されたことは数多あれど、優しい言葉で慰められたことは記憶になかった。母がそういう言葉をかけるのが苦手な人だった、というより、私がその時ほど絶望の淵まで行ったことなどそもそもなかった。
ある日、初めての一人暮らしを始めた小さな1Kの部屋に段ボールの荷物が届いた。その中には何冊もの詩集が入っていた。確か、手紙はなかった。
どうにかして娘を救ってあげたい。そういう親心だったのだろう。どんな風に声をかけていいか分からないから、誰かの言葉を借りて私を励まそうとしたのだと思う。
それから数年をかけて私は完全に復活し、その本はとうの昔に役目を終えた。
私には不要になったその本を、今度はどんな人が必要としているんだろう?と、ふと思った。
私は本を包みながらいつものようにペンを執り、見知らぬその人に向けていつもは書かないような一言を添えた。
「この本は、私が人生のどん底にいたときに母が送ってくれたものでした。今この本を必要をしている方が、少しでも元気になるきっかけになりますように」
そうしたら取引メッセージにお返事が届いた。
この方のお母さまがどんな病気かは私の知るところではない。しかし、もしかしたら母親を失うかもしれないという恐怖と、母のために何かできないかと自分にできることを片っ端からがむしゃらに探した日々のことは、6年経った今でもはっきりと思い出せる。
見ず知らずの私にだからこそ、この方は心情を吐露できたのかも知れない。一冊の本のやりとりからどこの誰とも知らない人同士が通じ合い、画面の向こうとこっちで涙を流した。
私は心の底から、この方とお母さまの気持ちが少しでも軽くなることを祈っている。相手がどこかの誰かでも、力になれるのは嬉しい。
こういうことならメルカリのやり取りも悪くないな、とはじめて思った。
そして母、あの時はありがとう。
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