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自分をさらけ出せたら、もっと楽になれるかもしれない

自分の過去について語ることが苦手で、私生活ではなるべく(というかほとんど)触れないようにしている。

理由は、自分はこれだけ苦しんできたという不幸自慢のようになってしまいそうだからだ。


そして私は、とにかく自己開示が苦手だ。
何かを聞かれても、本当のところを知られたくなくて思わず嘘をついてしまうことさえある。
悪気はないのだけれど。


ここは、私が好きなことを発信していい場所だと信じている。だから、少しだけ話してみる。






先日、10年ぶりに心療内科を訪れた。


高校の時に精神科に入院して以来、なんとか上手く付き合ってきたつもりだった自己と、どうにもこうにもいかなくなったからだ。


10年前、長らく飲んでいた薬への依存が激しく、やめるのに苦労したことを思い出し、なるべく飲みたくないと伝えた。
結果、漢方を処方された。


どうしてもダメな時のために頓服として西洋薬を持っていた方がいいと言われたが、飲みたくなかった。


しばしの沈黙のあと、先生はおもむろに後ろポケットから財布を取り出し、小銭入れを開けて中を見せてきた。


実は僕も常に持ってるんです、と。



それは自分が昔飲んでいた抗不安薬のうちの一つだった。
名前もはっきりと覚えていた。
その一錠は、ずっとそこにしまわれていたことを証明するかのように、くたびれていた。



持っていればいいんです、お守りみたいに。飲まなくていいんだから。でも、いざという時に飲める薬があると思うだけで、症状は出にくくなる。それが目的なんです。
症状が出にくくなれば、つまり経験をしなければ、脳は学習する。それが自分にとってのデフォルトなんだと。大丈夫なんだと。そう思い始める。
そういう方向に導いていく為に、薬を持つ。
飲まなくていいんだよ。
僕は昔、飛行機に乗っていて過呼吸になったんだ。
それ以来、常に薬を持っている。飲んでいないけれど、持っている。
それに、いざという時に飲むくらいなら耐性なんて出来ない。そういう意味で言うなら、アルコールの方がよっぽど依存性が強いしね。

さっきまで真剣だった目が優しくなった。目尻に皺を寄せた笑顔が、私にとっての最高の精神療法になった。


心の中で絡まっていたものが、するするとほどけていく。


今目の前にいるこの人も、同じ経験をしたんだ。
そして、患者である私に自己開示をしてくれたんだ。




人は、自己開示をしてくれた人に対して心を開きやすくなる。



相手がきちんと向き合ってくれないと感じる時は、自分が向き合っていないからなんだろう。



誰かと真剣に向き合いたいと思ったら、まずは自分を開くように努力しよう。
例えそうすることが苦手でも。本当の自分を知られることが怖くても。


その先はきっと上手くいくと信じながら。

そういうふうに、生きていけるようになりたい。


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