記憶の断片が持つ意味
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出発間際の電車から飛び出して、父親は目の前にある売店でプリッツを買ってきてくれた。
ジリジリという発車の合図が鳴っていて、私としては、プリッツなんてどうでもいいから早く戻ってこい父親と思っていた。
だってドア閉まっちゃったらどうすんの。私とお兄ちゃん2人っきりだよ。
確か私は幼稚園生くらいで、そんなことを思いながら不安で仕方なかった。
でも私は何も言わなかった。電車出ちゃうよ、とも、お菓子いらないからそれよりも早く戻ってきて、とも。
なぜだろう。あの時の光景は、今でもはっきりと覚えてる。
場所はたぶん我孫子駅。乗っていたのは緑の常磐線。
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好きだったな。父親。(今も生きてるし病気一つしてないし毎日走ったりして健康そのものだけど、思わず過去形にしてしまった。きっと今日も草むしりしたりゴーヤがちゃんと育ってるかとかを観察して過ごしてる。日曜日だから。)
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こんなふうに、時々、記憶が断片的に思いおこされる。
それがどんな意味を持つのかはわからない。
それらが私の考えや生き方に、影響を与えてきたからなのだろうか。だから記憶として残っているのだろうか。
フロイトとかそういう人たちに精神分析してもらったら(してもらえるのならば)、それは周囲から置いていかれることへの恐怖やトラウマ云々…みたいなことを言われたりするのかもしれない。
自分としては、周りから見捨てられることに対しての恐怖や不安を、極端なほど持っている人間ではないと認識している。
それよりも、一人でいることが好きだし、どちらかというと自ら去ってしまうことの方が多いかもしれない。
私はよく、一人になりたがる。
一人でいることが好きすぎて、群れることが苦手で、誰かと一緒にいたいという普通の人ならばごく自然に持つであろう欲望を自分の中に上手く芽生えさせられないまま、ここまできてしまったような気がする。
誰かとずっと一緒にいたい。
そんなふうに思ってみたい。
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