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Behind Enemy Lines - 史上最高のエース

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1960年に出たサンダーソン氏の著書Behind enemy linesから独空軍マルセイユ大尉の物語を訳しました。
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#Luftwaffe

1. 若き鷲

1. 若き鷲

 4機の英ハリケーンは好奇心をそそる標的を見下ろした。1ダースのロンメル戦車がワジ(wadi 雨期以外は水のない川)の浅瀬付近を巡回している。それらの背後では2度、多くの荷物を積んだトラックが緩んだ砂の中を通って激しく揺れ動いた―軍の哨戒隊はエル·アラメインで急遽、防衛された隙間へ押し分け進んでいる。250ポンド、4機のハリケーン。各翼の真下の爆弾は、数秒間だけ旋回した。今回だけはアフリカ軍団の車

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2. ベルリンのハンス=ヨアヒム

2. ベルリンのハンス=ヨアヒム

何が戦闘機パイロットに費やされるのだろう? 何が、とりわけ、エースの中のエースに費やされるのだろう――死ぬまでに少なくとも100の戦いをして全てに勝つ男? 
  明らかに「殺戮本能」ではないし、もちろん飛ぶことに対する圧倒的愛情なのだが、どうやら現代の心理学者が主張するような、開けっぴろげで男らしい外向性にあるようだ。
  ハンス=ヨアヒムは1919年12月13日、第一次世界大戦のパイロットであっ

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3. 最初の勝利

3. 最初の勝利

  新兵マルセイユは1938年11月7日、ドイツ空軍で飛行訓練を始めた。1942年までに、3箇所の前線で空中戦をするプレッシャーが体にこたえ始めた頃、空軍の訓練は高水準を維持していた。翼を得る前に、ハンス=ヨアヒムは3つの学校で長く疲れる数ヶ月を過ごした。単独で操縦する前、空に100時間以上いて、しかも、それをやったクラスで最初の男だった。彼は誇りに思い、休暇でベルリンに帰宅した時、ほんの少しでも

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4. 鳥の本能

4. 鳥の本能

 戦闘機パイロットのハンス=ヨアヒムは二度と発砲するのをためらわなかったし、見たところ彼の撃墜の記録はたまり始めたように見える。着実に、1週間に約1機の割合で、7機と一級鉄十字章を得るまでスコアを加えていった。現在、飛行中隊の中で最高のパイロットの一人だと認識しているとはいえ、特にそれを気に入ってはいなかった。彼は深刻すぎるようだったし、没頭しすぎているようだった。
  バトル・オブ・ブリテンで戦

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5. デルナ上空

5. デルナ上空

 ハンス=ヨアヒム・マルセイユの調整は続いた。家からの手紙はロシアに対する攻撃や、初期の圧倒的な勝利における楽観主義を伝えていた。彼らは姉インゲの結婚も伝えた。アフリカでの戦争は上手くいかなかったが――トブルクはまだ、持ちこたえており、ロンメルはエジプト国境に留まっていた。空では英軍機が増え、反撃の噂を耳にした。

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6. 突然の知らせ

6. 突然の知らせ

 10日間のうちに、マルセイユの撃墜数は18機から33機へと上昇した。彼は中尉へ昇進し、ケッセルリンク元帥は彼の胸部へドイツ十字章金章を留めた。2週間後、マルセイユは敵48機を撃墜した。
  それはDAFが彼を待つために辛抱強くその防衛領域に腰を据えていたからではなかった。報復作戦行動は立案された。マルセイユはたびたび単独で、あるいは1機か2機の僚機とともに飛行し、小編成あるいは敗残兵に対して狩り

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7. 独りぼっちの戦い

7. 独りぼっちの戦い

 既に航空機の撃墜名人であったマルセイユは、まだ人間の感情的な成熟に達していなかった。彼は猛烈に飛ぶことに専念した。殆ど向こうみずな戦闘の一週間で、もう12機を落としていた。彼は飛んで戦うためだけに存在していた。彼は生きて単独で戦う「ソリティア(一人遊びのゲーム)」になっていた。
 夜になると、彼は誰とも話さないでテントへ直行した。10機またはもう15機をスコアに加えられないまま1ヶ月が経過した。

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8. 完全なる輝く星

8. 完全なる輝く星

 アウグスブルクではマルセイユがメッサーシュミットの工場を訪れ、航空機の性能をわずかに犠牲にしてでもMe109の為にさらなる大きなガソリンタンクを提案した。彼の提案は実行できなかった。又、アウグスブルクで彼は女の子と会った。彼女の名はハンネリースといい、随分インゲに似ていた。マルセイユは人目見て恋に落ちた。(それは初めての重大事件だった)
 数日後、彼はハンネリースに結婚を申し込んだ。ハンス=ヨア

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9. 史上最高のエース

9. 史上最高のエース

 不思議なことに、彼の最後の撃墜は9月28日の、マルセイユの人生で最も苛酷な158機であった。とにかく、彼は家に手紙を書いた。
「それは互角の戦いだった。短い戦いでもあった。でも最初は、勝ちを確信している訳ではなかった」
  戦闘解除で、ノイマン少佐(その当時はまだマルセイユの部隊長)は飛行中隊の生き残りの帰還を心配そうに見ていた。確かにマルセイユはさらに大きなガスタンクが装備された新型のMe10

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