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私も加害者だった?!ジャニーズ事務所の記者会見。ファンである私の心に突き刺さった「加害者感」とファン放置の企業の行方

J事務所
ジャニーズ事務所のことを本ブログでは“J事務所”と記します。

ジャニーズと自分で発するたびに、気持ちが揺れて辛くなります。それは、SMAPが解散させられた7年前から続いてきた揺れ。そして今回、一連の事件が発覚した後の、企業としての記者会見で、ファンだった私が思うことをそのまま書きました。

ジャニーズに惹かれたのは、青春が終わり子連れ離婚の覚悟を決める瞬間だった

1995年に、親にも友人にも誰にも相談もせず離婚を決心し、仕事も収入すらない自分が、経済的に自立して子ども三人をひとりで育ててゆく覚悟を決められたのは、売れなくて鳴かず飛ばずの苦しい日々を正面から受け止め、それでも誰の悪口も愚痴も無く、笑顔を振りまき続けていたSMAPがいたからでした。必死で頑張っている姿を見て、私も自分に正直に頑張ろうと、泣きながら毎日自分を奮い立たせていました。


「SMAP5人旅」の大好きなワンシーン

SMAPファンとしての25年とSMAP解散後の7年を加えた32年間は、言い換えれば、私にとってJ事務所に関わってきた年月でもあります。「関わってきた」というのは「お金を払い続けてきた」ということでもあります。私にとってSMAPの楽しさは、コンサートで盛り上がる楽しみとイコールでした。コンサートチケットを入手するには、ファンクラブに入っていなければほぼ無理。ですから私は、家族の名前で差支えのないありったけの口数でファンクラブに年会費を振り込み続けていました。私、父、母、妹、妹の夫、姪、娘、息子×2名義の全部で9口。さすがに二桁はダメだろうと、自分なりの基準で年会費を払っていました。ひと口年間4000円。これさえ継続していたら、コンサートチケットの入手率は9倍に上がるのです。毎月コツコツと小さな貯金をしながら、この年会費とコンサートチケットの費用を貯めることが私の励みでもありました。

コンサートチケットの申し込みは、ファンの間でいうところの「幸せの青い封筒」がある日突然ポストに舞い込んでいる瞬間から始まります。仕事から帰って郵便物を取り出し、ダイニングテーブルにバサッと置いた時、あの幸せの青い封筒を見つけたときの興奮ったらありません。もう夕食どころではなくなります。直ぐにその封筒を開封してコンサートの日程表を確認し、全国で仕事の合間に行けそうな日程を見定めて、その場で飛行機とホテルを予約。数カ月に及ぶ全国ツアーの日程を押さえたら、その後にコンサートチケットの申し込みをするのです。


コンサート会場で、娘と

コンサートチケットの申し込みは、日程が定められており、「参加希望の申し込んだコンサートの日数と人数分の総額を全て事前に振り込む」ということが定められています。

この順序を間違えると「チケットはあるけど移動手段とホテルがない」ということになります。、SMAPコンサートのある地域は、飛行機も新幹線もその地域のどんなホテルも即満杯になるので、この手順は最重要課題

こんな、ファンではない方には呆れられるようなことが、今思い出してみると、懐かしく、温かな気持ちになるのが不思議でなりません。コンサートがあったあの頃は、本当に幸せでした。

今思えばSMAP最後のコンサート”Mr.S”

BBCの放送と視座


イギリスBBCの番組から始まった一連の事件発覚で、私の知識の底におりのように溜まっていたモノが、表層意識に浮上してきました。知りたくもなかった、ただの噂だと思っていたかったアノことが、目の前に突き付けられ、その悪臭を鼻っ面に押し込まれた気がしました。

これを自業自得というのでしょうか。
噂で何となく、折に触れ、浮かんでは消えていたアノことを、目の前の楽しみに明け暮れることで、なかったことにしてきた、私への罰なのかと思いました。

32年もの間、SMAPを絶え間なく応援してきたことが、あのJ事務所を経済的に支え続け成長させ続けてきたことに結果としてなっています。つまり、私の払ってきた9口の年会費や、コンサートに当たることを夢見て申込んだ当選するかどうかもわからない口数分費用とか。このお金がJ事務所の代表が罪を犯し続ける根拠の一端となっていた?ということは、

私も加害の一端を担っていた?

この思いが私の頭から離れなくなりました。


*これは私の個人の感想でしかありません。他のファンの方々には一切関係のないことですので、この点間違いなくご理解くださいますようお願い申し上げます。

ご留意ください

何があったのか、本当のことを知りたい。
でも、、、万が一私の推しのあのタレントが、その当事者だったとしたら…。
知りたい、でも、知りたくない。これがファンとしての私の本音でした。

あの9月7日の記者会見

率直に言うと、一番知りたくてできれば知りたくないことは、私の推しのタレントが、被害者だったのかどうかということです。もし彼が被害者だったとしたら、私は、彼が血の涙を流してレイプを受け、その代償として与えられた舞台で、彼の笑顔に歓声を送っていたということになります。私は彼に人生を捨ててまで、スポットライトを浴びて輝くこと、そんなことを微塵も望んではいませんでした。

でも、報道されているが真実だったとしたら、

私は、これまでのようにコンサートDVDを見て歓声を上げ、ペンライトを振って楽しむことはもうできないのだろうと思います。彼と彼らの笑顔を見るたびに、「万が一、彼が被害に遭っていたのかも」「もしかしたら、彼も涙をのみ込み続けていた?」この言葉がよぎらない瞬間はないのだろうとも思います。

加害者が亡くなっている以上、被害者の数が増えても証言が増えたとしても、真実性の証明に限界はあります。でも、これだけ実名での訴えがあるということは、無視できる限界を超えました。しかも日本が一番苦手な外圧で。

また、被害を受けたタレントの中に、現役の有名タレントの名前がないことは、J氏は、将来の有望な有名タレント候補には加害を加えず、それに満たない予備軍となるJrにのみ、加害を繰り返していたという二面性をもっていたということなのでしょうか。それとも、声を上げられない方がまだまだ沢山いらっしゃるということなのでしょうか。


ファンとしての心の揺れ


ここまで、被害者数が数百人、一人当たりの加害回数が数百回と、その異常性を考えるとそのえり好みをにわかに信じることはできません。成功を餌に、加害を加え、結果として成功の機会を与えてきたからこそ、神話のように、成功するために加害を容認するという異常な世界観がうまれたと考えるのが、一般的な発想でしょう。

とすれば、さきほどの、推定が、すくなからず、現役の所属タレントの中に及ぶのは邪推ではなくなってきます。そんな悲劇的な想像が私の中でぐるぐるととぐろを巻いて何度も押し寄せてきます。

コンサート会場で「お星さま席」でも最高に幸せ

私の推しは大丈夫だった?大丈夫だったということよね?

私と同じように、この後ろめたい想像を抱えていることでしょう。それでもこの先、推しているタレントの出演の機会が今回の事件をきっかけになくなってしまっては一大事。応援したいけれど、応援しても果たして推しの幸せにつながるのだろうか、単なる自己満足のエゴの充足でいいのだろうか。
J事務所を批判する方の中には、「私の推しの○○には関係のないこと、タレントは被害者」と反論し、また他方でJ事務所を擁護する声には、「でも、やはり、死んだのだから、この他のことはなかったことでいいのではないでしょうか」というのも目にします。

9月のJ事務所の記者会見で抜け落ちていたのは、こんな気持ちで見ているファンへの労わりの言葉でした。

ファン置いてきぼりの企業が考えていたこと

「タレントは悪くない。」「スポンサーやテレビ局には迷惑をかけた。」「被害者は名乗り出でくれれば、補償したい、でも、いままでどおり仕事はさせてほしい。」

なんだそれ。

タレント事務所の最大の顧客は、誰?
各タレントのファンクラブの会員でしょう?
私たちに、どうやって受け止めろというの?

でも、J事務所が観ている方向性は、会社として利害関係の高い関係の濃い業界関係者だけ。つまり取引先への影響だけだったのでしょう。
言葉の端々に現れたこの温度差は、年月の長さと楽しかった日々を掛け算した罰のように、私に重く悲しくのしかかってきます。

ファンは置いてきぼりか。

Jファンの未来はあるのか


10月2日に記者会見があるそうですので、検討結果はのちほど明らかにされるでしょう。でも、今ここで書いておきたいことが沢山ありました。

まず、私は、J事務所という名称が残るのは、世界に対して恥ずべきことだと思います。「鬼畜の所業」を行った人物の名称を冠にした企業が、犯罪が明らかになってからも日本のエンタメ界で王座に君臨しつづけているなんて、それを受け入れている日本社会そのものが信頼を失うのではないでしょうか。

今後は、少なくとも、J事務所を離脱して、独立、移籍をする現役タレントの活動に、ストップをかけるようなことがないように、タレントや役者さんたちの働き方や問題の吐き出す場所を創設するべきだと考えています。ハリウッドの俳優の労働組合にもあるようですが、相談窓口があるだけで、今回のような数十年に及ぶ闇を防ぐことができるのではないでしょうか。

また、会社名を残すという選択肢を選ぶなら、私は、被害救済会社として存続させるべきだと考えます。または、財団法人などに財産を全て移行し、今回の被害を受けた方々への補償と心理的回復を担い、同じような被害を受けて苦しんでいるタレントなどを助ける機関とするのがベストなのではないかとも思っています。現在のJ事務所の代表の「法を超えて救済を」という言葉を正面から受け止めたなら、この案は最適と考えます。

相続税対策を批判されているジュリー代表取締役も、その汚名を返上するために、残った会社名を背負う十字架を自らに課し、亡くなっている二人の故人の犯した責務を果たしていくのが、唯一のファンへの贖罪となるのではないでしょうか。資産を自分の思うとおりにしてこれまで通りの暮らしを維持することを最優先にするのでは、「鬼畜の所業」の片鱗がそこに残ることになるのでしょうから。

この先も、私は見たくない知りたくなかった一連の動向を受け止めてゆくのだと思います。「鬼畜の所業」を行わせた末端の末端の一部に自分もいたのかもしれないという思いを引きずったまま。



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