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本当に欲しいかどうか、これを問われているのが「ピンチ」という名の神様

さて、次の第3戦となる準々決勝は朝8時からの第1試合となりました。相手は沖縄尚学。沖縄も選挙でご縁のある土地柄ですが、今回は慶應を応援させて頂きます。と、思いはしても、この日は仕事の都合でどうしても甲子園へは行けません。

すでに1回は観戦できたのだから、これでよし。選手たちに倣って、現状を受け入れ感謝しよう。今回はテレビで応援だ、と決めていました。

試合当日、テレビの画面には、数日前に私が応援していたアルプス席のあたりがくっきりと映っていて、この時点で感慨無量。応援もおのずと力が入り、テレビの前でひとり熱狂甲子園を繰り広げていました。

そして、なんと、
その試合も勝ったのです。

これが最後かもしれない、と、毎回覚悟して応援しているのに、
勝ちました!
ベスト4進出です。
なんと104年ぶり( ;∀;)

勝利が決まった直後の私には、「嬉しい×スケジュールどうしよう」が混在していました。

え?!勝った?!!
勝ったの?!!(失礼)
え、どうしよう、こんなことこの先もう二度とないかもしれない(失礼)
え、仕事の予定どうなってる?
行ける?甲子園?
行ける?行けない?
無理?え?何とかなる?ならない?

243年ぶりの清水寺「奥の院本尊御開帳」


この時、私は2003年に243年振りに行われた清水寺の「奥の院御本尊御開帳」を拝観に行ったことを思い出していました。それはまだ議員秘書だった頃のこと、仕事終わりの夜でした。家で子ども達の食事を整え、母親仕事も終えたところで、どっと疲れが押し寄せてきていました。くたくたに疲れていた私は、神奈川県にあるスーパー銭湯に行こうと着替えだけを持って深夜に車を走らせました。いろんなことがあった一週間でした。お局秘書に資料を隠されたり、議員から誤解の叱責を受けたり、辞められるものなら辞めてしまいたいと毎日思って仕事をする日々でした。運転している頭の中は、その週の嫌な出来事が何度も繰り返されていました。環八から東名高速に乗ったあと、まもなく青い大きな標識が目に入ってきました。

「名古屋」。

――そう言えば、清水寺の奥の院、ご本尊御開帳は明日が最終日かぁ・・・。
行けるはずなかったわ、残業続きで寝る時間もろくになかったんだから。

でも、この機会を逃したら、もう一生見られないんだろうな、ご本尊。
243年ぶりなんて、もう二度と見られないにきまってる。
はぁ・・・。

また、看板が見えました。
「名古屋」。

2回目

名古屋の次って京都、よね。

名古屋の次なら、
京都、意外と近いんじゃない?!

次の瞬間、私はハンドルを名古屋方面に切っていました。後部座席にスーパー銭湯の道具と着替えを積んだまま。

そこからはルンルンです。
京都に着いてからは女性専用サウナで朝を迎え、243年ぶりの御開帳にあやかることができました。
望めば叶う。

104・107・243


「準決勝の進出は104年ぶり」
「優勝したら107年ぶり」。
メディアが塾高に載せる枕詞。
この言葉が、記憶の中の「清水寺の243年ぶりの御開帳」と重なりました。

もし準決勝も勝ったら?
万が一、決勝までいったら?!

御開帳を見られた感動が、私の行動力を押してきます。
スケジュールを見ると、準決勝・決勝の日程には、仕事の予定も入り込んでいます。諦めるのか。何とか隙間をつくることはできないのか。
御開帳の感動に加え、またしても元議員秘書の調整能力をさく裂させました。最強タッグです。

考えろ。行けるか行けないか、しっかり考えろ。
可能性を手繰り寄せろ

準決勝前日の夜には、地方で講演会が入っていました。そこは新幹線の駅から更に車で一時間以上海岸に向かって入りこむ美しい街です。そんな美しい街への移動は、当然何かと時間がかかります。
その折も折。さらに、同じタイミングで別のクライアントから電話が入ってきました。トラブルに巻き込まれ、相当なパニックに陥っていていたのです。これも素早く何とか落ち着かせなければなりません。準決勝の観戦は、どんどん遠のいていくように感じられてきました。

こんなとき、私の変な癖が顔を出します。
想定外の大混乱やトラブルに見舞われたとき、頭の中がシーンと冷めて静かになることです。周りが混乱していればいるほど、頭の回路が冷徹になって人や物の動きを判断するのです。この時も同じでした。

さて、考えよう。


どうする


講演終了後にクライアントに会うとなると、最終列車に間に合うよう駅まで行くにはタクシーを2時間弱ぶっ飛ばさなければなりません。でも、この列車に間に合えば、到着後の夜のうちにコンサルティングも完璧にできる。
さらに、その地から翌朝一番の飛行機に乗ることができたら・・・。

なんだ。間に合うじゃない。甲子園準決勝戦!

仕事で何度も実感した言葉が蘇りました。
欲しいと思ったら、欲しいものにこだわること。
本当に欲しいのか、欲しいふりをしているだけなのか。なぜ欲しいのか、欲しい気持ちはどこから湧いてきているのか。

拘ればこだわるほど欲しい気持ちにまとわりついている雑音が、ひとつひとつそぎ落とされてゆく。気持ちがシンプルになっていけばいくほど、欲しいのか左程欲しくもないのかが明確に分かれてきます。

あってもなくてもいいと思っているものは手に入らない。
でも、どうしても何があっても欲しいと思っているモノは、手に入る。

これは私が沢山の政治家とかかわってきた中で、実感してきたことです。何が何でもこの選挙区で絶対に勝つと決めている方はいつか必ず勝ってきます。

このように、自分の気持ちの源泉を知れば知るほど、潜在意識が自分を動かしていることを強く意識させられる経験を過去数々見てきました。

準決勝へのタイトロープ



さて、その日程。私は、8月20日の朝の新幹線で、予定の地へ参りました。有難い歓待を頂き、講演会を盛会のうちに終え、その後の懇親会でも楽しい話題で盛り上がることができました。続く二次会はお断りすることになってしまい、本当に申し訳なかったのですが、そこからタクシー移動をすることで、その日の夜中、日が回る頃にはパニックで大混乱していたクライアントに会い、話をすることができました。そして、翌朝、またもや朝一番の飛行機で甲子園目指して大阪伊丹空港へ。機内の席に着いた時、昨日からの怒涛の予定を何度も繰り返し思い出していました。ここまで来られた奇跡に感動していました。

欲しいものは欲しいときちんと願えば、手に入れられるチャンスは倍増します。

準決勝戦の甲子園球場へは、試合開始時間ぎりぎりに到着できました。

もうひとつの日程調整


オーストラリア話はこのあと

実は、このとき、私はもうひとつの日程調整をしていました。
万が一(失礼)準決勝に勝って決勝戦に進むとしたら、それは8月23日。私がオーストラリアへ向かう予定の日です。

勝つか負けるかは誰にもわからない。
だったら「勝つ」に向けて日程調整するのが「勝たせ屋」たる私の選択
。(強気でいけ)

私は、この瞬間、23日の飛行機をキャンセルし、飛行機を3日後に取り直しました。

しつこいですけど、「やる前に諦める」という最悪の選択だけはしないでおこう、といつも思っています。できるかどうかはわかりません。結果は誰にもわからないことです。でも、やる前から負けた時の言いわけに自分の行動が縛られるなんて、こんなつまらないことはありません。行動しなければ、失敗の経験値ですら上がらないのですから。やらない言いわけを探していないか「自分パトロール」は粘り強くするのが勝ちです。

(この絵も使いたかった)

さて、肝心の準決勝は

というと。
準決勝も2対1で土浦日大という強豪校に勝ちました。

私は「107年ぶりの優勝」という、私の脳内での「奥の院御開帳」に匹敵する一生に一度かもしれないできごとにまた巡り合う機会を得たのです。
やはり、オーストラリアへの航空券は取り直しておいて正解でした。そして、8月23日の高校野球の決勝戦を甲子園に応援に行く日がやってきました。願ったら叶ったのです。

さぁ、ここまで来た!
夢に描いた決勝戦!
わくわく!わくわく!
(次こそ、甲子園最終回!)

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