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この人、頭いいなと思う時

今までの人生経験の中で、といっても大した年数ではないのだけれど、
あぁ、なんだろ、この人頭いいんだろうなぁと思う時ってどんな時ですか?

記憶の仕方が特徴的(な気がする)

僕が愛する元後輩も、この特徴をもっているのですが、とにかくいろんなことを知っているんですよね。普通に尊敬します。
その特徴というのが、
「〇〇という人が居て、その人の書いた△△っていうのが~」
「これこれを研究している誰それが言っていましたけれど~」
「xxxxっていう現象のことを####って言うんですけれど〜」
といった具合に、何かを参照してきて発言するときに、大体セットで出てくるんですよね、リソース情報が。これは聞いていてもわかりやすく説得力があります。
僕が全然聞いたことない人とか事象もたくさんあるので、彼にウソをつかれていても、正直わからないと思います。
そこに自分の意見を加えるというスタイルが根付いていて、きっとこれは論文とかを書く時の習慣がそのまま出ているんだろうなぁと、ふんわり思います。

僕も割と記憶力はいい方だと思っています。
しょうもないことほどよく覚えています。不思議ねぇ。
とはいえ、覚えていられる時間や領域っていうものはある程度限りあるものです。
基本的に記憶力いいよねぇ君はと、話の流れ上で話した僕の経歴のことを、あまり覚えていなかったあとにちょっとメタ的に言ったんですが、そこはまぁあえてのスルーのあと、こう言います。
「○○に関しては面白かったんですよねぇ」

面白かったから覚えてる?それだけ・・・?

きっとそんなことはないんでしょうけれど。そいういうこともあるなぁとしみじみ。それよりも、覚え方を習慣的に身につけているんだと思うんです。
要するにリズム+語呂で覚える歴史(や漢字)と同じで、脳内で関連付けて覚えているんだと思うんですよね。それを歴史だけじゃなくて、リズムだけじゃなくて、知識の引き出し方の一つにそういう覚え方を持ってるんですよね多分。きっと。僕は頭良くないのでそういう覚え方はできないというか、やってない?が正しいのかなぁ。

先般の記事にも書いた、帰納的だということを借りると、この傾向にある人は僕の知ってる人は頭いい感じ。シュッとしてる。じゃなくて。
かしこい人ばかりです。だからこういう覚え方、話し方ができる人は僕にとってかしこい人です。(帰納的結論の弱点)

[おまけ]実はやってたこと

文字数がカウントされるのはなんだか良いですね。とりあえず目安に、毎回1000文字は超えられるよう心がけています。実はもクソもまだ数記事目ですけれど。あと、あまり意味は無いかもしれないけれど。1000文字って、打つとそれなりに時間かかるじゃないですか。読むの一瞬ですね。

求む、読み応えのある文章!と思ったけど、文量ではなく「質」ですね…!


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