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働くことで手放すこと。辞めることで手放すこと。

今月はコルクラボのみんなで「決断」について考えている。

「あなたが手放したことはなんですか?」

そう聞かれてもよくわからない私は、6月末に3年ちょっと勤めた会社を退職した無職だ。

周りから見れば、大きな決断をしたように見えるのかな? まあ、実際に何かを決断したのは事実だから、ここで、退職エントリほど大げさでは無いけれど、これまでの大小の決断(選択)と、その思いを書いていこうかな…というのが今日のnote。つまり、自分語り。


で、私の仕事だけど、映像制作をしていた。テレビ番組とか、web用の映像とか、そういうののディレクター。企画したり、リサーチしたり、取材したり、撮影したり、構成考えたり、編集したり、そういうの。

多くの人が想像する通りだと思うけど、けっこうハードワーク。特に私のいた会社は、人数も少なく、いつもキャパオーバーだった上に、予想外の仕事も毎日のように発生して、私は起きている時間のほとんどを仕事に捧げていた。もちろん土日も。

で、この仕事をする中で、私が手放していたもの、それは、「生命維持に関わらないこと」。大げさにいうとね。

夜、1時すぎに家に帰ってきて、コンビニご飯を食べて、布団に吸い込まれるように寝る。で、朝家を出る30分前に起きて、シャワーを浴びて、着替えて、ボロボロな顔にファンデーションとチークだけしたら、濡れた髪のまま家をでる。始業は8時30分。
もう、生きているだけで精一杯。

部屋はぐちゃぐちゃ。包丁はそんな生活の中で錆びさせてしまって以来買っていなくて、洗い物は溜まってしまうから、コップを使いたくなくて、インスタントコーヒーさえも飲まない。ゴミも、結構な頻度で出し忘れていて、コンビニ弁当の残骸が散らばってた。

今考えたら、包丁くらい洗えるでしょ、ゴミくらい捨てられるでしょって思うんだけど、当時は無理だったんだよね。

あとは、見た目もね、どうでもいいと思うようになった。化粧するくらいなら寝ていたいし、服を買いに行く時間や、朝あれこれ選ぶ時間の余裕も気持ちの余裕もなかったから、とにかくシンプルなものを、少し余裕のあるときに通販かユニクロで買っていた。スカートははかない。突発的に撮影が入るし、足元が難しい。私はいつも、作業着みたいな格好で、一足のスニーカーをみんなに止められるくらいボロボロになるまで履きつぶしていた。髪は胸まで伸びた。長い方が楽だし、新しい髪型に挑戦する気力がなかった。

友人と過ごす時間もないし、旅行も無理。街に溢れる面白そうなイベントや、お祭りや、お店は、自分とは縁のない、他人事だった。大好きな映画も全く見なかった。

それくらい、必死だった。それくらい、いろんなものを手放さなければ、日々の生活を送れなかったんだ。あの時の私は。
(もともとズボラだし、見た目に関して疎いところはあるんだけど、それにしてもだ。)

どうしてすぐに仕事やめなかったのかって聞かれるけど、やはり魅力があったんだと思う。得るものもあったし、素敵な景色もいっぱい見せてもらった。そして、あの働き方も、あの選択も、強制されたんじゃなくて自分で選んだものだったし。あとは、まだ後ろ髪を引かれることもあったりして。
(会社の悪口にならないようにね、一応)

それでも、もういいかなって、気持ちの面でも仕事面でも区切りがついた時点で退職した。それは「決断」というほど深刻なものじゃなくて、もっと気軽で、自然なもの。今まで通ったところに明日から行かなくなる、それだけのこと。くらいの軽さ。

じゃあ、この退職で手放すものは何か?と聞かれると、それは安定した収入でも、正社員のポジションでもなくて、多分、「がんばっているということに対しての甘え」じゃないかな。と。

私は幼い頃から、「私はがんばっている」という事実にずーっと甘えて生きてきた。がんばることは得意。試験勉強も誰より長時間できたし、部活だってきつい練習を積極的にこなせた。部員の中で、学校から一番遠くに住んでいても、自主的に朝練に行っていた。がんばっていたから、周りからは褒められたし、認められていたし、自分でも結果に納得できたというか、がんばっていれば、どんな結果でも受け入れられるって思っていた。でも、ほしい結果がちゃんとついてきたこと、あったかなあ?

部活も目標を達成できなかったし、大学受験も失敗してる。

以前の職場で、自分をあれほど苦しめてしまったのも、「時間の限りがんばっていれば、どのような作品ができても納得できる」っていう、甘え。本当にいいものをあの環境で作りたかったら、別のアプローチがあったはず。でも、がんばっているということに甘えて、それだけを心の支えに、結果をないがしろにしていたんだ。(そのつもりはなくてもね)

その証拠に、胸を張って「代表作です!」って出せるものは、一つもない。

あんなにいろんなものを手放して、人生のほとんどの時間を費やしても、だ。

それって、とっても虚しい。だから、会社を辞めるのとともに、その甘えを手放したいのだ。がんばっていればいいのなら、それはとても楽だ。がんばればいいんだから。がんばったかじゃなく、もっと結果にストイックになることは、睡眠時間が増えても、映画を見る時間ができても、今までよりも大変なんじゃないかと思う。「がんばること」にすがりつけないのは、結構怖い。でも、がんばることにすがりつく限界も見た。


新たな場所で、新しい気持ちで、いい挑戦ができるように、私は今、休んでいる。本当に、心置きなくゆっくりしている。がんばることに取り憑かれて、自分を苦しめてしまったけど、でもまあ、「よくやったよね」って褒めてあげたいところもある。


胸まであった髪の毛は、あごまで切った。スカートもはくし、久しぶりにサンダルで外出をしているこの夏は、親指の爪が気持ち良さそう。今まで一年中、窮屈だったよね。メイクもしてる。下手だけど。映画も見るし、会いたい人にも会う。

私は、なんだかんだで仕事が好きな人間だから、また、ちょっとしたら仕事に人生の大半を費やす日々に帰ってしまうと思う。でもね、もうがんばることに救いを求めないで、苦しむことで満足感を得ないで、ちゃんと掴みたい将来を見据えて向き合って行かなきゃね…っていうふうに、今心を整えている真っ最中だ。

ここ最近の大きな決断、手放したもの、こんな感じかな。

とてつもない自分語り、読んでくれて、ありがとう。

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あ、追記でコミュニティnoteっぽいことを。

コルクラボでは、退職者が今結構いる。他のみんながどうかわからないんだけど、私はコルクラボに入ったから転職を考えたわけじゃない。ただ、ここに入ったことで、「やめられるな。」と思った。仕事を辞めてラボがなかったら、多分、何週間も誰とも話さずに部屋の中でうずくまっていたと思う。東京ではずっと、職場が自分の所属する唯一のコミュニティだったから。ただ、もう一つの居場所ができたことで、気が楽になった。そんなに思い詰めずに辞められた。やはり居場所を、依存先をいくつか持っておくことは、人を身軽にするし、人の決断を後押ししてくれるんだろうなと思う。会社だけの価値観に縛られなくなるしね。あくまでも、私の場合はね。

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