こども

久しぶりに、講師時代のことを語る。
いま現在のわたしは、
レッスンを通じて子供たちから学んできたことが、
ほぼ血や肉となっている。

この社会においての、
これまでの常識、これまでの正解

これらに疑問を持つようになったのも、
子供から教わった目線。

「なぜ、そうでなければならないのか」

ほら。よく、見てごらん。
そうでなくても、十分に楽しい。
十分にやっていける。
というより、そうでないほうが、
こんなにも世界が広がるということ。

どうして、レッスンで宿題が必要なのか。
なぜ、弾き方にあれこれ言われるのか。
なぜ、この教則本から始めなくてはいけないのか。

これらは、
この道を辿ると、
現世での「上手・完成」と言われる形に ’いつか’ なれるから。

こうしたこれまでの常識は
「ある一つの解釈」に過ぎないことを
子供目線は視座高く、教えてくれる。

それを、受け止められるか?
それを、腹落ちするまで理解できるか?

私たち大人は
たくさん生きてきた分、
たくさん抱えてきた価値観があり。

それを緩め、手放すのが、
とても勇気がいて
とても恐怖もあり、いつもいつも躊躇する。

そう、「いつか」の完成をどこかで信じているから。

いつか、って何?
いつかのために、どれだけいま我慢しているの?



人から見て大変と感じる
たくさんの練習時間も
これ自分にとっては夢中なんよ!
って言い切れるものは
むしろあっていい。

でも、その気持ちがないのなら、
そっちでないんだな。

世間の常識から外れたとしても、
あなたの中の真実は、そっちでないんだな。

子供はそのことを
はしゃいだり、癇癪起こしたり
寝てしまったり、
言葉以外にもいろんな態度で教えてくれる。


だから。
大人のわたしたちは、
自分に余裕を少し、1秒でも多く、余裕を持って
子供の目を見てみよう。

子供の目は、嘘をつかない。

そして、からだをそっと
愛を持ってさすってあげよう。

子供の体温から、
とてつもなく柔らかい魂を
いただくの。


今は、この魂の声が
本当に重要な時代になった。
そして、どんな時でも
この魂は、平安。

私たちに

「慌てなくていい」
「自分に帰れば、すべてわかる」

と、ずっと語りかける。



くみきえ







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