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マインドフルネスやヨガのこと

近況報告

2023年7月から始まった5ヶ月のイギリス生活が、もうすぐ終わろうとしています。

9月には大学院がスタートしました。といってもパートタイムなのでクラスはほとんどオンラインで受けており、クラスの開催数もかなり少なく、自分で色々調査し論文を書く、という作業をしていました。

仕事では、アメリカ、日本、ヨーロッパを通訳で繋げていて、夜勤の日が週に2回ありました。夜勤は結構大変でした!また日本の生徒さんとも、ヨガのスーパービジョン、英語のクラスをオンラインにて、クラス数は少ないですが、継続していました。

大学院でやっていることの内容ですが、宗教的要素のないマインドフルネスを、科学的な観点から研究し、それに加え、自分の主観的な練習のリフレクションも行います。それらから得たことを、いかに社会(職場、学校、など)で生かすか、を研究しています。マインドフルネス、コンパッション(思いやり)、インサイト(洞察)、インクワイアリ(問いかけ)、という切り口から、探求していく、というような感じです。


私が長年やってきた練習は、ヨガであり、マインドフルネスではありません。瞑想の練習も、最も長く行ってきたのは、私の先生がアドヴァイタ・ヴェーダンタを教えてくれていたので、マインドフルネス瞑想ではありませんでした。

マインドフルネスは数年前からに通訳を通して触れることが多くなり、色々なところで生かせる練習法だなと感じたし、私も度々助けられました。ヨガの瞑想とは違いますが、自分のことをより客観的に知ることができる便利な練習法だと思っています。

また、マインドフルネスには、「RAIN瞑想」のような、思いやりを育む瞑想法があったり(私はTara BrachのRAIN瞑想が好きです)、瞑想以外にも、マインドフルネス・ムーブメントや、ボディスキャンのような練習があります。そして日々の生活の中でも、マインドフルネスを活用したりします。

マインドフルネスは、子どもの教育にも取り入れられるようになってきました。例えば、アメリカのエモリー大学は、幼稚園から高校生までの子ども達が、社会的、感情的、道徳的なインテリジェンスを育めるような、SEE Learningというプログラムを、ダライ・ラマと共に開発しています。レジリアンスを培ったり、自己調節のやり方を学んだりできるそのプログラムの中にも、マインドフルネスが含まれています。(SEE Learning: Social, Emotional and Ethical Learning)

昔のインテリジェンスの定義と、現代のインテリジェンスの定義が、変わったのだと思います。現在のインテリジェンスの定義とは、社会的、感情的、道徳的なインテリジェンスであり、ただ学問ができることとは捉えられていません。

マインドフルネスはもともと、仏教で行われていた瞑想なので、仏教的な道徳観の影響がありますが、それを世俗的な観点から活用する場合、輪廻のような考え方は省かれます。仏教ではカルマやサムサラ(輪廻)を終わらせるための実践のひとつだったのが、世俗になると、そういった目的がなくなるため、仏教的な道徳観は、社会正義的な意味での道徳観に置き換えられているような気がします。特に現在の、北米やヨーロッパでの社会正義(Social Justice Movement)の影響を、私は個人的には感じています。社会的にマインドフルであるということは、他者に思いやりを持てたり、自分の感情に向き合えたり、反応的にならないことであり、そのように生きられるようになるには、一種の訓練のようなものが、必要になってきます。

その訓練とは、自分のことを、
①身体反応
②感情
③思考(物の受け取り方、解釈の仕方)
に分けて認識することができる力を育むことだと、私は今のところ、理解しています。

そうすることによって、自分が世界をいかに解釈していて、その解釈に基づき、どんな身体反応が起こり、感情が起こり、行動が起こるかを、知ることができます。

また、人の意識には、過去の記憶が大きく影響しているので、「物の解釈」には、必ず過去の経験が影響を与えています。それら記憶は「身体で感じる記憶」として残っています。記憶とは、頭だけで覚えていることではありません。

「感情は、身体と思考を繋げるもの」と言った人がいましたが(エックハルト・トール)、身体反応には様々な情報があるため、見逃すべきではないと、認識され始めています。

マインドフルネスは西洋において、Mindfulness-based interventions (マインドフルネスを活用した介入)という名のついたセラピーにもなっており、その種類には、マインドフルネス・ストレス低減法(MBSR)、マインドフルネス認知療法(MBCT)、マインドフルネスを活用した弁証法的行動療法(DBT) など、これら以外にも多くのものがあります。メンタルヘルスや医療分野で活用されていますが、科学的に沢山の研究がされるようになって、脳神経科学や心理学にも、マインドフルネスやソマティックワークが含まれるようになっています。

私は今でも、ヨガの瞑想をもっとも多くしていますが、その時々のニーズに応じて、マインドフルネス瞑想に変えたり、マインドフルネスでも特にコンパッションを育むRAIN瞑想をしたりしています。

また、マインドフルネスはその練習で教えてくれるように、日常生活で生かせる部分も多く、日々の生活において、物の見方や感じ方が変わってきました。日常生活のみならず、私がやっている絵を描くこと、ピアノやギターを弾くこと、小さい子どもたちと遊ぶ時のこと、高齢者とヨガをする時、大人同士の人間関係なんかにも、活用できています。

「活用できている」の意味は、「何かをどうにかする」、というようなことではなく、「自分がどう感じているかに、なるべく気づいた状態である」、というようなことであり、そこに好奇心をもたらすことで、心の空間が広がり、自分を裁いたり、良い悪いを判断することなく、往々にして、楽な状態であることができます。ですが、時には取り乱すのも、人間であれば当然なことで、自分が取り乱したり、苦しんだりしている時でも、そんな「人間がもつ共通性 (Common humanity)」に対し、思いやれるようになってくると、自分にも、もっと優しくなれたりします。

私は2020年から2021年にかけて、ガボール・マテ医師(Gabor Mate)の、コンパッショネット・インクワイアリ(Compassionate Inquiry)サイコセラピーのトレーニングを受けていました。同時進行で、アメリカのトラウマセンター・トラウマセンシティブ・ヨガの300時間認定(TCTSY-F)を受け、それ以来、身体で感じることと、頭で認識していることを、行ったり来たりするセラピーについて学んできています (Top-Down and Bottop-Up Therapy)。

中でも、ガボール・マテの教えはいつまでも心に響いています。
彼も常に、
「身体に何を感じているか?」
「その出来事に対するあなたの解釈は何か?」
「なぜそのように解釈しなければならなかったのか?」
「そう解釈することで、あなたは何を得ているのか?」
「そう解釈することで、あなたはどんな感情を感じているのか?」
ということを、対話の中で言っていました。

三番目の「なぜそのように解釈しなければならなかったのか?」ですが、物事の解釈の仕方は幾通りもある中で、「そのように解釈してしまう」のには過去の経験から得た理由があるわけで、その理由に対して思いやりを持つことが大事なんだと思っています。

マインドフルネスも結局のところ、「自分との新たな付き合い方」を学んでいるような気がします。日本語には「折り合いをつける」という言葉がありますが、そういったニュアンスかもしれません。

人は皆、苦しみもあるし、病気にもなるし、いつしか老い、死んでいきます。私はヨガやマインドフルネスをすることで「いつまでも健康でいましょう!」という考えを啓蒙していません。私にとってのヨガやマインドフルネスとは、苦しみもあり、病気にもなり、いつしか老い、死んでいく、自分という生き物がたどる、その時その時の状況に対して、上手に折り合いをつけながら、できるだけ楽に生きる方法を学ぶための実践だと思っています。身体感覚に意識を向けながら、練習を身体で感じ、「生理学的な変化」を感じていくこと。つまり、練習を体現しないとピンとこないことなんだと思うけれど、生理学的に「楽を感じる」と、心の空間が広がり、もう少し多面的に物事を解釈できるようになってくるのかもしれません。

タントラ的なヨガの瞑想は、マインドフルネスやサイコセラピーとは異なっており、3つの体(肉体、感情、信念などが宿る体)を超越し、自由になることを目的としています。ヒンズー教でも仏教でも輪廻を終わらせるという目的は同じだと思いますが、ヨガの瞑想は、結局自分は「大いなるものそのもの (I am that)」ということを知る練習です。アドヴァイタ・ヴェーダンタの教えは、すべてのものが神聖であり、グルである、というものです。

タントラ的なヨガの瞑想と、宗教要素を抜いたマインドフルネスと、現代のトラウマ・センシティブなアプローチは、きちんとそれぞれの活用範囲を決めておかないと(特に他者に対しての)、人によっては練習が逆効果になることもあるだろうと、気遣っています。

2024年前半の予定ですが、あまり具体的には決めていないのだけど、国内で生徒さんと共に過ごす「楽ちんな時間」をもっと作れたら良いな~っと思っています。

今、「英語で絵本を読むクラス」をやっていますが、私的にはこのクラスは、とても楽しく楽ちんで、やらなきゃいけないって感じがしない、努力なしのクラスにしたいと思っていて、きっと実現している気がします。毎回笑える内容です。

これから他にも、「がんばらなくちゃ」を感じなくて良い楽しく楽ちんなクラスを、マインドフルネスやヨガの要素を入れて、新たにスタートしたいと計画中です。特にアートをそこに加えたクラスをしたいと思っています。


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