Yogaはゲーム
こんな一日があっても良いな。
ヨガをした。
ヨガはゲーム。
繊細であることで、ますますズボラになれたら良いのだ。
自分の感覚に、より繊細であることで、
自分のニーズに気づくわけなんだけど。
そのニーズを満たすことで何を得るのか?と言えば、
大した何かを得るわけでは、ないのかもしれない。
ヨガはゲーム。
ポーズというチャレンジに対して取り組むゲーム。
ジグソーパズルや、ドミノ倒しと変わらないゲーム。
さまよう心を、その時だけは一点に集中させたりするゲーム。
感覚は研ぎ澄まされるような感じになってくるから、
なんだか、自分の生き方みたいなものが、
明確になったような錯覚を得たりして。
どんどんそうやって繊細になっていくと、
自分は特別な存在みたいになってきちゃう。
特別とは、区別でもあり、
特別であることで、ヨガで教えていることとは真逆の「分離」を起こす。
だから私はやっぱり、沙門をやめ、商人になり、愛人と情事を重ねて、子どもを作り、子どもに捨てられて、舟渡になった、ヘルマンヘッセのシッダールタと共鳴する。
繊細に練習を続けるよりも、お昼寝を選ぶ。
内側に意識を向けるよりも、空を羽ばたく鳥たちの声を、聴きたい。
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