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こころの「アソビ」と「ノビシロ」と、自分らしい生き方と

空を見上げて異国の友を思い、空を見上げて在りし日の自分を想う。空は時間も距離も繋ぐ。

春空の下、卒業式のシーズンに思い出す景色。母校の高校のシンボルであったゆうかりの木のそばで、眩い光に溢れた校庭で「またすぐ会えるよね」と笑顔で互いに手を振って、それぞれの進路に向けて大きな希望と漠然とした不安を胸に別れたきりの学友達。30余年の月日の流れのなかで、阪神大震災を経て老朽化した校舎はすでに建て直されて街の風景も一新し、私の記憶の中でもあの日の景色は年々ぼやけていきながらも、思い出補正によって輝きだけが増していく。

今年も卒業式の時期を迎え、こうして振り返る過去にふと、ああ、青春って、過ぎてから振り返ってみてようやくあれがそうだったとわかるものだと、今さらながら気がついた。

母校には「ゆうかりの葉」なる応援歌があった。歴代生徒会長は、立候補した候補者達が校庭で大きな校旗を全身全霊で振り回しながらこの歌をがなるように歌い、その声の大きさによって全校生徒が選んだ。馬鹿馬鹿しさがすべて、それが正義だった。関西の男は体を張って笑いをとるべしと、夜のメリケンパークで男子学生達が海に飛び込んでふざけあったこともあったそうだ。瀬戸内の潮は早く、あっというまに引き込まれることもあるので、それを聞いて非常に危険で全く笑えないと思ったが、思い返せば、そうした「アソビ」の部分を充分に謳歌し、その「アソビ」をノビシロにして人は情緒豊かに成長できるのかもしれない。

知識ばかりを詰め込んできた10代のうちに「こうあるべき」や「こうすべき」という言葉で自分自身を知らず知らずのうちに縛っていた。「べし」の呪縛からの脱却が出来たのはそれこそ人生を80年としたら半分を過ぎたころ。アソビなどなく、常にアクセル全開の急ブレーキ、アソビがないことで自分が多くの衝突を繰り返し、自他をただ傷つけるばかりであったということにも気づかずにいた。

ガイドラインやルール、慣例や一般常識からの逸脱を奨励するつもりは毛頭ないが、それらでは解決できない問題が生じたとき、それを解決するのは「アソビ」による柔軟性ではないだろうか。それにより生まれるノビシロで多くの学びを得て、さらにのびやかで自由な発想をもつことがこれからの世の中で求められていると思う。

春を迎え、多くの若者が次のステージに向けて舵を切る。これからの人生、先が見えず多くの不安を抱えているだろう。一方でまだこれからの人生は真っ白なキャンバスのまま、いくらでも絵を描いていける。それぞれの人生が幸多きものであることを願ってやまない。

京都大学大学院医学研究科「医学領域」産学連携推進機構
鈴木 忍

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