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他人にどう見られているか?を気にしすぎても致し方ない

「頑固だ」「可愛げがない」「しっかりしている」と親に言われて育ちました。
「素直だ」「おとなしい」「天然だ」と人には言われます。
はたしてどちらが私でしょう?どちらもです。
はたしてどちらが本質なんでしょう?わかりません!
人によって、私に対する見方が違いすぎて、多感なころは「私ってなに?」って悩み続けたものでした。

自分がどんな性格か知るために、占いをしても◯◯診断の類(MBTIとか)をしても、どうにもぴんときません。
友人に誘われて「◯◯の母」的占い師さんにみてもらったことがありますが、結果は「うーん」と首をひねって終わりました。
昔は、自分の星座の性格をみて「あー当たってる」と思うこともあったのですが、うつ病になったせいかそんなこともなくなりました。
うつのおかげで、自分自身の理解できなさに拍車がかかった気がします。病は少なからず人を変えるものですね。

ちなみに、私は同じ誕生日の知人が4人(知り合ったのはただの偶然です)、近い人を入れると相当数いますが、みんなあまり似てると思えないので、星占いの性格診断はあてにしていません。

外見も内面も対照的な両親のもとに生まれたので、自分をつくる要素ひとつひとつが「ああこれ父親似だ」「これは母親似か」とよくも悪くも結びつけることができてしまっていました。
そのため、思春期は「自分は自分である。親のコピーではない」という事実を我が身に浸透させようともがいて葛藤していた記憶があります。
親元を離れてみれば、「ああこれ自分独自だ」と思える要素がいくらでも見つかるようになるのですが、実家ぐらしのうちはなかなか難しいものがありました。
親の価値観と違うものを好んだり選んだりすると否定されますしね。

自分のキャラ設定をある程度おこなってから学校なり職場なりに臨んだりしていましたが、自分がどう見られているか、自分の予想を大きく超えることがあります。
相手の思考をこちらが完全にコントロールするなんて困難な話です(よほど尖った外見とかならまた違うかも)。
いいやもう自由に解釈したまえよ。と、自分のペルソナは他人に託すことにしました。
プライベートはあまり人に話さないんですが、そのことによって「ミステリアスな人」と思われるよりも、「クマザサさんは◯◯な人」と好きなように思いこまれていることが多いようです。
よく話したこともない人から韓流ファンだと思われていたことがあり、それはかなり意外でびっくりしました(特にファンではないし疎いです。いったいどこからそんな噂が出てきたんだ)。
家族と良好な関係を築いているとか、いい家庭で育ったとかも思われがちみたいなのですが、実家はコミュニケーション不全ですし、しつけは厳しかったけど両親は中卒ですし、父親ほぼ不在の環境で育ちました。
結婚して子供がいる前提で世間話をしてくる人には、事実と違うので訂正すべきか迷いました。自分で好んでこの人生を選んでいるのに、「独身ですし子供いません」と言ったら変な空気になりそうじゃないですか。
「クマザサさんは恋人募集中で結婚したがっている」と勝手に他人に言う人がいて、これも事実と違う。そういう人には足の小指をたんすの角にぶつける呪いをかけておきました。

私がなにか事件を起こすか巻きこまれるかして、知人がインタビューを受けたら、どういう人だったと言ってくれるんだろうな。
自分でも自分がどういう性格かわからないので、正解はないんですけれど。
性格って、なにかに対する反応なり考えかたなりの傾向のことじゃないでしょうか。だから、グラデーションだと思うんです。
それに、年中いらいらしている人の前だとこちらも気分がくさくさしてくるし、いつも気遣いがある人と対するとこちらも丁寧な物腰になるし。相手の写し鏡なので、「私の性格はこうです!」「自分らしさとはこれです!」と言い切れるものがあるのかどうか。

しかし、「自分探しは無駄!」と断言するつもりもありません。
東北大学の公開講座で、「自己理解の心理学」というものを見つけました。
人気があるようで、過去に何度かおこなわれているみたいです。
今度gaccoで受講できるので受けてみます。
自分がどういう人間かわかったほうが、生きやすそうですもんね、なにかと。

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