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9月25日(日)

【 招きの言葉 】
わたしは知った。
人間にとって最も幸福なのは 
喜び楽しんで一生を終わることだ、と
人はだれもが飲み食いし
その労苦によって満足するのは
神の賜物だ、と。
わたしは知った。
すべて神の業は永遠に不変であり
付け加えることも除くことも許されない、と。
神は人間が神を畏れ敬うように定められた。
   コヘレトの言葉3章12~14節

先週は、台風が次々に上陸して、雨の被害が続きました。
台風に備えて、教会の玄関に置いてある植木を、風の当たらないところに移動しました。すると、植木鉢の陰から、ちいさなアマガエルが飛びだしました。無事に台風が過ぎ去るようにと思いました。
みなさまのお住いのところは守られましたでしょうか。被害に遭われた地域の方々の上に主の御守りがありますように。

9月最後の主日となりました。今日の礼拝は、窓を全開にして扇風機だけで過ごすことが出来ました。窓の外には、色づき始めた稲が風になびいていました。実りの秋がやってきますね。

見事です

今日は、久しぶりにH.Oさんが礼拝に来られました。お元気そうなご様子に安心しました。
礼拝の後には、みんなで献金や受付の片付け。電気を消したり、窓を締めたり。会堂の掃除をしたり、看板を片付けたりします。そのような中でお互いに声を掛け合い共に仕え合いながら、み言葉に生かされた交わりが深められていきます。

涼しくなり、気持ちの良い季節になりました。それぞれの日々の生活のご苦労は変わりませんが、身体に負担のない気温のありがたさを思います。今週もみなさまのご健康が守られますように。ご家庭のお一人一人の上に主の祝福がありますようお祈りいたします。いつもホームページへの訪問ありがとうございます。

ケイトウの花が咲きだしました

9月18日・礼拝説教要約
「祝福された人生」コヘレトの言葉11章6節-12章3節  
 濱田美惠子伝道師
 コヘレトは1章2節で「すべては空しい(ヘベル)」と言う。「ヘベル」とは、ヘブライ語で、「空しい」という意味だけでなく、「ひととき、つかの間」と言う意味もある。人生には定められた時があり、その時を神ご自身が一人一人にふさわしい計画を立てて下さっていると語る。人は生まれてから死ぬまでの時を知らない(3:1-13)。長生きしても、苦労が多く、若者もいずれ裁きの座へと導かれる。束の間で空しく見える人生だからこそ、コヘレトは「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ」と命じる。神のご支配の無い人生は絶望するしかないが、神が導かれる時を精一杯生きる人生こそ「祝福された人生」である。「神のなされることはみなその時にかなって美しい」(3:11)

◇次週の主日礼拝◇ 
10月2日(日)午前10時15分  世界聖餐日
説教『主の晩餐』濱田美惠子伝道師
聖書:マタイ福音書26章26-30節
讃美歌:29、56、297、464、27
交読:詩編76編1-7節