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日本語教師は誰にでも始められる仕事だからこそ、極めたいと思ったお話し

今日、孔さんのnote は、わたしが書きたかった内容そのものでした。

わたしは日本語教師です。そして日本語教師だと名乗ると、大抵「日本人なら誰でもできる仕事ですよね」と言われます。

わたしは、今まで「誰でもは無理でしょうね」と答えていましたが、孔さんは正しく次のようにまとめておられます。

正確に言うなら「その職業に就くときのハードルが極めて低い」というだけで、その仕事を続けられるかどうかは全く別の問題です。

孔さんは、例えば飲食業にて就職することは容易だけど、その職業に求められる資質を磨いたり、発揮するのは非常に難しいと説明されています。

日本語教師もまったく同じです。

日本語を母語、もしくは話者としてマスターしている人の日本語を読んだり書いたり、話したり、聞き取ったりする能力は、日本語をこれから学ぼうするどんな外国人よりも優れていることでしょう。

ですから日本語を教えたいと思えば、すぐに始めることができます。しかし、良い教師になれるかは別問題です。

わたしが中国語を学び始めた頃、中国人に発音を確認してもらってました。彼らができたのは、わたしの発音が正しいか、まちがっているかを判断することだけで、どうすればただしく発音できるかを教えることができる人はいませんでした。

その後、別の教師にどうすれば、中国語の発音がそれらしく発音できるかを教えてもらい、少しずつレベルアップできました。

もちろん中国語超初級者であった当時のわたしにとって、中国人が発声練習に付き合ってくれることは大変ありがたかったのですが、徐々に中国語を話せるだけの人に頼ることはしなくなりました。

なぜなら、彼らの方法ではまったく進歩できなかったからです。

どの言語においても言えることですが、正しい文型を選ぶことや、正しく発音することを母語者は無意識に行います。

歩くときや走るときに手の振り方などを意識しないのと同じように、意識せずに正しい表現を選んだり、舌の位置や喉の開き、空気の出し方を調整して発音しているのです。

自分が無意識に行っていることを教えるということが、どれほど難しいかを考えてみてください。難しさに気がついてからが教師としてのスタートとなります。

孔さんは note の中で、新津春子さんという方を紹介されています。ご自分の清掃という職業を極めることにより価値を高めた方です。

わたしも新津春子さんのように、自分の職業を極めることを目標にしたいと思いました。

そして今後「日本語教師なんて誰にでもできる仕事ですよね。だから給料も安いんでしょうね」みたいなことを言われたら、「そうですね。でも奥が深いんですよ」と微笑むくらいの余裕を持ちたいです。

そしてできるなら苦労に見合うというか、生み出している価値にふさわしい収入を得たいと思います。ちなみに中国では、わたしの生み出している価値以上の収入を得ているので不満はありません。

今日も最後まで読んでくれてありがとう。また明日。

ぜひぜひ、サポートをお願いします。現在日本円での収入がなく、いただいたものは日本語教材や資料の購入にあてます。本当にありがとうございます。