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ボーナスをカットされた日本語教師のお話を中国人経営者にしたら不愉快になったお話し

先日、書いた通り中国の日本語教室で仕事をする教員の給料は時給計算されることがほとんどです。詳しいことはその記事をご覧ください。

時給計算ですから、授業をしなければ収入が減ります。さて問題なのは授業がない場合です。仕事をしたくても仕事がない場合、給料が発生しません。

仕事があるときはバンバン授業をしてもらいたい。でも仕事がないときにはお給料は支払わないという条件ですので、雇い主にとって非常に都合の良い契約です。

こうなると日本語教師は、仕事がたくさんあるときに会社に協力しなくなります。たくさん授業しても疲れるだけですからね。

それでとある学校は月に80時間以上授業をしたらボーナスを支給、また120時間授業をしたらさらにボーナスを支給していました。

ところがこの不景気で、突然のボーナスシステムの廃止が通告されたそうです。その学校に勤務する友人は、ちょっとテンション下がったと話してました。

さて、知人の中国人経営者(以降ボスとします)とおしゃべりしているとき、景気の話になり、その話をすることに。

するとボスは「別に良いんじゃない。80時間仕事すれば暮らせるでしょ」「月給8000元くらいでしょ。別に良いじゃん」とさらりと答えました。

契約に対する見方が違うことに驚く

さすがにボスのこの意見はどうかなと思い反論することにしました。

給料は契約の問題なので、生活できる出来ないの問題ではないのでは?
契約時に80時間を越えたらボーナスを支給すると約束したのであれば、契約期間中は守るべきでは?

社員側が会社の経済状況を鑑みていいですよというのであればまだしも、経営者側が社員は生活できるんだからボーナスカットしても問題ないと口にするのはどうなのか?と聞きました。

ボスはしばらく無言で考えてましたが。暮らせるから別に良いでしょ。と意見を変えることはありませんでした。

そのボスの暮らしも、また友人が勤務する日本語教師の経営者の暮らしも貧しくはありません。彼らの仕事の目的は暮らせるかどうかではなく、社会での経済的成功を目指したモノです。

資本主義の社会において、利益を追求する姿勢を否定するつもりはありません。ただ「従業員」に対して「道具である」という見方を隠すつもりがないことに違和感を不快感を感じました。

知的ワーカーであっても換えがきく存在であること。これは否定しません。しかし契約という縛りを破棄することに対するためらいのなさと、それを正当化する理由に違和感を感じます。

◇◇◇

中国の経済がかなり悪く、教育業界は打撃を受けています。特に日本語なんて贅沢な分野です。正直、日本に留学するなら、さっさと日本の日本語学校に行って勉強した方がコスパ良いはずです。

そんなわけで、中国国内の日本語学校の需要は減り続けるでしょう。ですから公的学校、つまり高校や大学での講師という立場でなければ生き残れない日本語教師もでてくるような気もします。

今後、この業界がどのように変化するかが気になるところです。

さて弊社、まもなく今年の高考の成果がでます。成績の如何によっては来年度の契約は難しいでしょう。わたしの扱いもどうなるのかな・・・なんて、自分ではどうしようもないことを心配したりもしています。

今週も note を読んでくださりありがとうございます。また来週。

ぜひぜひ、サポートをお願いします。現在日本円での収入がなく、いただいたものは日本語教材や資料の購入にあてます。本当にありがとうございます。