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身の回りの中国人について語ることと、中国論を語ることは違うというお話

中国の南方在住のくまてつです。2015年9月にここに引っ越してきましたので、すでに7年が終了しようとしています。

ノートを積極的に書きだしたのは、2020年4月17日です。この日のノートは「経済的ど底辺な人はイイネと言われた話」というタイトルでした。

読み返してみると、まだ慣れてないな・・・って感じます。この記事を書いた後、そうだ毎日書いてみようと思ったのでしょうね。今日まで続いています。

◇◇◇

さて、わたしの note ですが、普段の生活で気になったことや、気づいたことで構成されています。それで、記事を書くために大がかりな取材などはしていません。

たまに同僚に意見を求めたり、近所で知り合ったオバさんとお話しして感想を聞いたりするだけですので、ネタ元が非常に狭く浅いです。それでnote の中で、中国人は〜なんて言っていますが、大抵はわたしの知り合いか友人の意見や振る舞いのお話しです。さらに彼らも中国人を代表して意見を言ってるわけではありませんので、中国人全体のお話しをしているわけではないことをご理解ください。

同様に気をつけないといけないなと思うのは、中国人から「日本」について尋ねられたとき、どう答えるかってことです。

わたしは、比較的裕福な家庭で育ったと思います。しかしガチの富裕層ではありません。また自分はお金が足りない生活の苦しさを知っていますが、貧困層だったかというとそうでもありません。

いつも必要だと思うモノですら買えたわけではありません。

でも家もあり、食事もすることができました。友だちとたまに飲んだりすることもでき、家賃や光熱費が払えなかったという経験もありません。

それで、自分が実際に体験を通して知っていることなんて、世界のほんの一部分に過ぎず、未体験のことに関して尋ねられても、聴いた話、もしくは想像でしか答えることができません。富裕層の暮らしも、貧困層の暮らしも実際には知らないのです。

昔、中国人に北京ダックって美味しいの?って聞いたことがあります。その人は丁寧に北京ダックがどういう料理なのかについて説明してくれました。でも最後に寂しそうに自分もまだ食べたことないんだけどねと笑いました。

それじゃ、今までの説明、信頼性低いじゃんと思いましたが、彼の質問に答えたいという真摯さを評価して突っ込むのはやめておきました。彼から、いつか本場の北京ダックを食べに行きましょうと言われ、そうだねと答えましたが、まだ実現していません。

コミュニケーションや情報ってそんな側面もあります。できれば一次情報、つまりオリジナルに触れて、そこから自分というフィルターを通して表現したいと思います。でも、いつでも体験を通して語ることができるわけではないのです。聴いた話、見たことで語られることも沢山あります。

さらに、自分では一次情報だと思っていても、それが実際には本物ではないこともあります。例えば、ある作者が自分の著述で持論を展開します。しかし、著者は自分の思考を言語化したいと思っても、本来の思考すべて完全に言語化することはできません。

でも、わたしたちは、その人の著作を実際に読むことで著者の考えに触れたような気がします。そして、わかったような気持ちになり、note やブログに書いたり、家族や友人と話したりするわけです。しかし読んだ内容は、当人の思想や思考のオリジナルではありません。もっと言えば、著作を100%理解できたとしても、著者を100%理解したわけではないのです。

きっと、わたしの note を読んで、中国人や中国人日本語教師、さらには海外生活者の気持ちや、日本語教師という職業について知ったと思う方がいると思います。それはわたしにとって嬉しいことです。

でも、それと同時に、中国や中国人についての一般論について話している印象を与えないように注意したいと思います。それで、みなさんには、わたしの周りいる興味深い中国人、日本人、韓国人、アメリカ人、カナダ人、メキシコ人・・・たちと接した私が何を感じ、考え気づいたのかを楽しんで頂ければと思います。

わたしが日本や日本国民を代表できないのと同じように、彼らもそれぞれの祖国や文化を代表しているわけではないのですから、当然ですよね。

今日は、そんなことを考えていました。
最後まで読んでくれてありがとう。また明日。

ぜひぜひ、サポートをお願いします。現在日本円での収入がなく、いただいたものは日本語教材や資料の購入にあてます。本当にありがとうございます。