自然の中の危険を伝える大切さと、恐怖心を植え付けるのではという自然ガイドのジレンマ
例えばウルシ。普通に山に生えていて、この樹液に触れるとカブれる。
けど、ボクはカブれたことがない。皮膚が強いらしいです。
弱い人はこの木の下を通るだけでもカブれてしまうらしい。
子どもたちとの体験で、現地にこれが生えていて触れられそうな場所にあれば、あらかじめ刈っておきます。たとえ「この枝には触らないこと!」と言っても忘れちゃったり、うっかり触れてしまうことだってあるから。
小さい頃から教え込んで、害のある植物は見分けられるようになっておいた方が良い!
という意見もあるのは理解します。
一方で、過去にこんな弊害がありました。ありとあらゆる葉を避けて歩く子がいたんです。
みんな普通に歩いている中、なぜか時々ヨロっとなって、あっちでもヨロっと。こっちでもヨロ。上下左右から伸び出ている枝葉を全部避けて歩いているのです。
これはきっと、外遊びを始める前に「ウルシの葉っぱは触らないこと」と注意したのを覚えていたんだな。でも「ウルシ」を忘れて「葉っぱは触らないこと」に変換されちゃったんだなと思いました。
もちろん、ウルシの見分け方は伝えてました。でも森に入れば似たような葉っぱはうじゃうじゃ生えてますもん。この子のようになってしまうのは、仕方がないと思いました。
後にも先にも、そんなことをした子は、あの子だけでしたので、気に留めなくていいのかもしれません。もしかしたら、ただ葉っぱを避ける遊びをしていたのかもしれません。今となってはわからないけど、恐怖心から始まる自然遊びはいったい楽しいのだろうか…。いつも問答しています。
だったら、もともと触れられそうにある場所のウルシは刈っておけばいいのではないか?根こそぎ退治するわけじゃない。少なくとも子どもの手が届きそうな範囲のものや、林道から飛び出しているもの(ウルシはそうやって出てることが多い)だけは刈っておく。
確かに知識として知っておいてもいいだろうから、遠くにあるウルシを指さして「あんな葉っぱはカブれるから覚えておくといいよ。今日みんなが行くコースにはないから大丈夫。安心して活動しようね」
これなら、子どもたちは安心して遊びに集中できるかな〜と思います。
さて、ここからが本題。
先日のナガミヒナゲシも茎から出る液でカブれるそうなんです。ボク自身何度も触っているけど何ともないのですが、ウルシにもカブれないので参考になりません。
先日の投稿で「カブれる可能性のある花なので、毒性にも触れてほしい」とのコメントがありました。
確かに情報として書いてある方が親切です。しかも、この紹介の仕方だと触って観察する人も多いでしょう。この過程で液に触れるかもしれない。
何か追記した方が良さそうです。
「この草の液に触れるとカブれますので注意しましょう」
これは恐怖心を植え付けるだけでボクは書きたくない。でも調べてみると「注意!危険!」とおどろおどろしく書いて注目を寄せるような見せ方をしている表現もありますね。うーん。悩んじゃいます。
さて、ボクの場合は「この草の液に触れてしまったら、きれいに洗い流しましょう。肌の弱い人はカブれることがあるそうです」
こんな感じかな〜。でもね。この投稿の意味としては「植物ってすごい!」なんですよ。栄養が少なくても花を小型化させて、それでも種を残す工夫がすごい。植物がみんなやってるわけじゃない。ミニサイズのタンポポなんてないじゃないですか。
ナガミヒナゲシは確かに困る。ボクも困っています。庭で見つけたら抜いてます。すぐ増えちゃうから。でも、その増やす戦略が秀でているからすぐ増えるんですよね。その種が兼ね備えている強さ、美しさはそのまま感動したいし、尊重したい。そう思っています。