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旅する日記④神奈川県秦野市鶴巻温泉のショッキングピンクな人々

 後ろ髪を引かれる思いで小田原をあとにしたわたしは、同じ小田急線沿いにある鶴巻温泉駅に来た。ここにもADDressの拠点があり、一週間ほど過ごす予定になっている。
 その日のわたしの宿は「ADDress鶴巻温泉A邸」。裏に住んでいらっしゃる大家さんのご両親が生活していた家で、日当たりのいい縁側が素敵な日本家屋だ。

 わたしが使う寝室の隣にはワークスペース兼リビングになっている広い和室があって、昼間はそこで仕事をして過ごした。その和室にはたまちゃんさんという女性と、スズキさんという男性が過ごしていることが多かった。

 ADDressの特徴のひとつとして、「専用ドミトリー」というものがある。各拠点には個室の他に二段ベッドがいくつか置かれている共同の寝室があって、そのベッドのうちひとつを自分専用にできるのだ。自分専用のベッドなので、他の人が使うことはないし、予約をしなくても泊まれる。ちなみにわたしの専用ベッドは千葉の一宮にあり、ちょっとした荷物を置かせてもらっている。
 たまちゃんさんとスズキさんはこの鶴巻温泉A邸のドミトリーの住人だ。つまり、ADDress会員として全国の拠点を利用する一方で、メインの居場所としてこの鶴巻温泉A邸で生活している。

 たまちゃんさんはメガネをかけていて、スズキさんもときどきかけることがあるので、なんだか姉弟みたいだ。いつも縁側を背にして、二人並んでパソコンを叩いている。必ずたまちゃんさんが左で、スズキさんが右に座る。はっきり決まっているわけではないけど、お互いに暗黙の了解ができている感じだった。
 わたしはこのコンビが好きだった。いつでもそこにいる、というその感じがなんだか安心するのだ(二人も旅人なのでもちろんいないときもあるけど)。
 もしかしたら家族というのはこういうものなのかもしれないと思った。その人の席が決まっていて、その人がいつでもそこにいる。欠けてしまうと、きっとさみしくなる。

 あとになってまた別な住人のお兄さんが和室に来たのだけれど、そのときメガネをかけていたわたしを見て「きょうだいですか?」と冗談で言っていた。なんだか仲間に入れたようで、少しだけ嬉しい。

 ちなみに、そのお兄さんはものすごい美貌の持ち主だった。お母様が海外の方だそうだ。彼とは何度かお話をしたけれど、瞳が美しすぎて直視できなかった。乙女ゲームのシナリオを書く仕事をしていたとき、「吸い込まれそうな瞳」という表現を使ったことがあるけれど、まさかそれを持っているホモサピエンスが三次元で存在するとは思わなかったので、かなり驚いた。
 他にも、家を引き払ってADDressのみで生活しているというご夫婦がこの鶴巻温泉A邸で暮らしていた。とても面倒見のいい方たちで、旦那さんとはお酒を飲みながら冗談を言い、奥さんにはおいしいごはんをたらふく食べさせてもらってしあわせな気持ちになった。この人たちの子どもになりたい! と思ったほどだ。

 そんな感じで楽しく過ごしていたら、さらに嬉しいできごとが起きた。ミツコさんとの再会だ。彼女はわたしがはじめて出会ったADDress会員。右も左もわからないわたしにゴミ箱の位置の教えてくれ、キーボックスの開け方を教えてくれた。そして何より、新しい生活を前に不安になっているわたしに、「ADDressの生活は楽しいよ」と言ってくれたのだ。

 朝、わたしが朝ごはんを食べていると早朝から畑に行っていたミツコさんが戻ってきた(なんと鶴巻温泉のADDress拠点には専用の畑があるのだ!)。わたしはすぐにミツコさんだと気づいたけれど、わたしが挨拶をすると彼女はきょとんとしていた。

「わたしです! ほら、三週間前くらい前に雑司ヶ谷で一晩だけ一緒だった……」
「ああ、思い出したわ! でも、きみそんな感じやったっけ? なんか印象変わったなあ」
「そうですかねえ? へへへ」

 アドレスホッピングをはじめてから三週間。いろんな経験をしたし、わたしも逞しくなってきているのかもしれない。
 ……いや、単純に顔を覚えられてなかっただけだろうけども。

 旅人同士の出会いはもっと刹那的なものだと思っていたけれど、ADDressの場合はみんな同じサービスを利用しているわけなので、「思わぬところで思わぬ人と再会する」というシチュエーションは珍しくない。それも、ADDressを使って旅をする楽しみのひとつだ。

 わたしがアドレスホッピングに慣れてきた一方で、ミツコさんも先に進もうとしていた。なんでも、カブで旅をはじめることにしたのだという。別のADDress会員から安く譲り受けたというそのカブを、わたしも見せてもらった。小さくてかわいらしいバイク。それが、これから彼女の相棒になる。
 彼女は新しく買ったテントも見せてくれた。宿の見つからない夜、その小さなテントを張って眠るのだという。これはなかなか真似できないことだ。わたしにとっては東京の家を引き払ってADDressの生活をはじめるだけでもけっこう一大事だったのだけど、ミツコさんはそれよりもずっと肝が据わっている。かっこいいなあ、と思った。

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 ミツコさんがカブで旅立ったころ、わたしも次の宿である鶴巻温泉B邸に移動した。にぎやかなA邸とは打って変わって物静かで、山の上にあるので窓からの見晴らしもいいという、とても気持ちのいい家だ。
 仕事の合間にキッチンに行くとサイトウさんという男性がいた。前は保育士の仕事をしていたというサイトウさんは、現在は困窮家庭の子どもに食べ物を届けるフードバンクというボランティアをしているそうだ。子どものためはもちろん、フードロスを減らす一助にもなるらしい。

 わたしがシナリオを書いているのは、もちろん読む人に楽しんでもらいたいからなのだけれど、いま現在困っている人を助けるような活動は、恥ずかしながらしたことがない。だから、サイトウさんの生き方は本当に素晴らしいなと思う。彼とはいろんな話をしたのだけれど、その決して多くない言葉の端々に、彼の持つ子どもへの愛情が感じられた。

 鶴巻温泉B邸にはサイトウさんの他にナガイケさんという画家の女性もいた。彼女はこれから小田原で個展を開くそうで、元気な笑顔を見せて出発していった。
 A邸の住人たちやサイトウさんを含め、いろんな生き方がある、ということを学ばせてもらったような気持ちだ。

 ADDressの各拠点には「カラー」がある。わたしがこれまで行った一宮や北鎌倉、小田原の拠点にもそれぞれカラーがあった。専用ドミトリーの住人や家守さんが醸し出しているものだ。
 そういう意味では、鶴巻温泉はそのカラーが濃かった。パステルカラーなんてもやっとしたものではなくて、ショッキングピンクみたいなめっちゃ濃い色だ。
「鶴巻温泉」といいつつも、近くの温泉が改装中で入れなかったので観光などは特にしなかったのだけれど、この人たちに会いに来るだけでも、この街を訪れる価値がある。

 鶴巻温泉を出発したあとは、東京に戻って久しぶりに姉や甥に会う予定になっている。ADDressで旅を始めてからいろんなできごとがありすぎて、何から話そうかしばらく悩みそうだ。


鶴巻温泉の旅のおとも:
「からあげハリウッド」の砂ずりと「闇市(仮称)」のお刺身

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