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旅する日記③神奈川県小田原市のビーチクリーンと着衣水泳

 御宿を出て東京に戻ったわたしは、久しぶりに出社して同僚たちに会ったあと、北鎌倉にあるADDressの拠点で過ごした。
 和室がとても素敵な北鎌倉の拠点で一週間のんびりしたあと向かったのは、同じ神奈川県の小田原市だ。それまでいた御宿や北鎌倉に比べるとなかなかの都会である。駅の近くには某激安の殿堂もある。
 わたしが四日滞在する予定の「ADDress小田原A邸」は海岸のすぐそば、「かまぼこ通り」にあった。ぱっと見は普通の住宅街なのだけれど、よく見ると老舗のかまぼこ屋さんが点在しているのだ。

 部屋には東向きに窓があり、六時ごろに目が覚めた。朝早く目が覚めたのなら、海岸まで行かない手はない。

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 高速道路の下にトンネルがあり、それを抜けると海が広がる。別世界に迷い込んだ気分だ。

 誰もいない早朝の海岸で、伸びをしたり、深呼吸したりする。一日のはじまりを海で迎えるというのは、東京で一人暮らしをしていたときにはありえなかったことだ。こういう時間を生活の中に持てるというのは、とてもしあわせだと思う。

 その日は土曜で仕事が休みだったので、小田原をのんびり散策することにした。海岸に行った帰りに見つけたかまぼこ屋さんが、暑い季節を意識してか足湯ならぬ足水なるものを置いていた。なんだかとても魅力的に見えたので、開店を待って行ってみた。
 ひんやりした水に足を浸しながら、日本酒を片手に小田原おでんを食べる。朝っぱらから何をしているんだと思わなくもないけれど、でもなんだか楽しい。お店の名物だという自然薯棒もおいしいし。

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 このときの写真を酒好きの姉に送ると、かなりうらやましがられた。姉がわたしの心配をあまりしなくなったのもこの頃からだと思う。たぶん、わたしが旅をめちゃくちゃ楽しんでいるのが伝わったんだろう。

 その後は小田原文学館や小田原城に行ったり、いかにも観光客というような過ごし方をした。明日の日曜日は箱根でも行こうかなんて考えていたのだけれど、夜になって「ビーチクリーン」なるものに参加しないかという誘いが、家守のヒライさんから来た。
 ADDressのいいところのひとつは、各拠点に「家守さん」がいることだ。家の掃除や管理をしてくれる役割もあるのだけれど、家守さんはその地域に精通している方が多いので面白い話がたくさん聞ける。ヒライさんは特にそうだ。小田原で喫茶店を営んでいて、街歩きツアーのガイドもしている。とにかく顔が広い人なので、ビーチクリーンにも彼のお知り合いがたくさん集まった。

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 ビーチクリーンとは何ぞやというのを説明しておくと、要するに海岸のごみ拾いである。
ごみ袋を片手に、黙々と海岸に落ちているごみを拾う。ごみを拾ったあとはバーベキューのような雰囲気になった。老舗の干物屋さんの方が来てくれて、小田原特産のアジの干物を焼いてくれた。
 そのものすごいおいしい干物を食べていると、わたしと同じADDressの会員であるマリコさんが、ふいに「なんか、泳ぎたいなあ」と言い出した。

「そうですね。水着で来なかったのが残念で……」
「じゃ、ちょっと行ってくるわ」
「えっ」

 言うなり、マリコさんは海に入ってしまった。
 洋服のまま。

(えええ……!! まじかよ……!?)

 と、わたしは思ったけれど、洋服のまま浅瀬にぷかぷか浮かぶ彼女は、なんだかとても楽しそうだ。

 うらやましくなって、わたしもサンダルを脱いで裸足を波に浸してみた。海水を足でぱしゃぱしゃやったりして遊んでいると、急に少し大きな波が押し寄せてきた。
 あ、やっべ。そう思ったときにはもう遅い。膝のあたりまで水に浸かってしまった。
 履いていたパンツがびしょびしょになっているのを見た瞬間、まったく不思議なことに「あ、なんかもういいや」という気分になり――。
 わたしは気がつくと、マリコさんの真似をして浅瀬に浮かんでいた。
 気温が高いせいか水がぬるくて気持ちがいい。着衣のまま、というのがまたいいのだ。なんだかいけないことをしている気がして、余計にわくわくする。

 頭まで海水に浸ってしまったので、その後はマリコさんや彼女のお友達の「みーちゃん」と銭湯に行った。小田原唯一の銭湯「中嶋湯」だ。浴場の壁に富士山の絵が描いてある、昔ながらの銭湯。

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 脱衣所で服を脱いでみて驚いた。肩が真っ赤になり、Tシャツの痕がくっきりついていたのだ。大人になってから、こんな極端な日焼けをするのははじめてだった。まるでプールではしゃぎすぎた小学生みたいだ。
 日焼けだけではない。服のまま海に入ったのだってはじめてだ。まったくいい年をして子どもみたいなことをやっているなと思う。でも、それがなんだか嫌じゃないと感じている自分が確かにいる。
 ある意味、一人で箱根に行くよりもずっと濃い一日になった。

 翌日はヒライさんの誕生日会があり、自然と小田原で暮らしている方々と交流することができた。そこで、あることに気づいた。
「小田原が好きだ」と口にする人が多いのである。
 わたしにも故郷があるけれど、そんなにはっきりと「好きだ」とは言えない。
 好きは好きなんだけれど、その「好き」のあとになんかいろいろ余計な言葉がつくのだ。「自然が豊かなところは好きだけど、地元の狭い人間関係は好きじゃない」とか、「たまに帰ってくるぶんにはいいけど、働き口がないからずっと住むのはきつい」とか、そんな感じの。
 まあ、わたしの故郷にも、その土地を愛している人たちはちゃんといるだろうし、そもそも北海道のど真ん中で閉塞感たっぷりのわたしの故郷と、東京から通勤圏内である小田原を比べる方が変なのだけれども。

 それでも、小田原の人の「好き」は、純粋な「この土地が好き」「この街の人が好き」なんだと感じた。
 地元を出たくても出られない人が、見栄で言う「好き」ではない。

 その「好き」はどこから来るんだろう。わたしは一緒に銭湯に行ったみーちゃんに話を聞いてみた。生まれも育ちも小田原の彼女は、現在は小田原を拠点にデザイナーやライターなどさまざまな仕事をしている。ヒライさん曰く「何でも屋」だ。

「わたしも、この土地を本当に好きだなって実感するようになったのは、小田原で仕事をするようになってからかなあ」

 フリーランスで仕事しているみーちゃんは、ヒライさんと同じく顔が広い。彼女と一緒に街を歩いているといろんな人に声をかけられる。みーちゃんは仕事を通して小田原の人たちと関わることで、かつては見えなかったこの土地の魅力を知ったのだという。
 
 ……ああ、やっぱり「人」なんだな。
 美しい景色やおいしい食べ物ももちろん土地の魅力だけれど、一番大切なのは「人」なのだ。
 帰りたいと感じる場所があるというのは、すなわち、「会いたい人がそこにいる」ということなんだと思う。

 わたしが小田原で過ごしたのはたったの四日間だったけれど、離れるのがなんだかものすごく名残惜しい。この人たちともっと一緒に過ごしてみたかった。

 そう思っていたら、ちょっと意外な形で小田原と縁ができることになったのだけれど、それはまた別の話だ。

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小田原の旅のおとも:
「grit」のシューカレーと「早瀬ひもの店」のアジの開き

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