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社会人大学院から国立大博士課程へ〜受験&入学顛末記【60歳からの学び直し】

4月3日、東北大学大学院の入学式が行われ、出席してきた。修士の時には入学式も卒業式も出なかったので、高校卒業した1978年の慶應大学入学以来、実に46年ぶり(半世紀近い!)の大学入学式である。

不覚にも涙した理由

会場は仙台で一番大きい箱、ゼビオアリーナ。それでも学生総数16,000人の大きな大学なので、学部と大学院の二部制で行われた。今年の院の新入生は修士・博士合わせて約2,000人とのこと。

留学生が多いので、式はほぼバイリンガル、アカデミックな雰囲気で行われた。初めて聞く校歌や就任したばかりの冨永総長のお話などを聞くうちに、不覚にも涙が止まらなくなった。

自分でも意外だった。正直そこまで努力もしなかったし、この大学に思い入れがあったわけでもない。歳を取るとやたらに涙腺が弱くなるのと、やはりこの年で博士課程に進学(挑戦)したという、「思えば遠くにきたもんだ」感にやられたのだろう。

ふと2階の家族席を見ると、大学院新入生(ほとんどが学部からの進学=20代前半)の両親の皆様が参列していた。私よりたぶん10年ぐらい若いはずだ。

この広い会場の中で先生をのぞいて最年長ぐらいか。でも不思議とアウェイ感はない。そう、これこそダイバーシティ。学びの門戸は広くあるべきだし、実際にそうだった。院生の両親より遙かに年上のシニアを受け入れてくれた東北大学に感謝をしたい。ちなみに東北大学は、100年以上も前、日本で初めて女子学生を受け入れた大学なのである。

博士課程受験はどう行われるのか

博士課程に行くと言うと、どうやって入ったのか、よく聞かれる。修士までは学部のような感じで募集要項が出ている場合が多いが、博士はあまり公にされていないことが多く、謎と感じている人が多いと思う。私自身、当事者になるまでよくわからなかった。

博士課程入学には、修士からの進学の場合と、私のケースのように他大学からの入学、いわゆる「編入学」がある。博士課程前期(修士)2年、後期(博士)3年というように、同じ大学であれば基本、全5年のコースに設定されている。しかし修士を出て博士は違う大学院に行くとなると、まずは「先生さがし」から始めなければならない。博士になると研究者扱いになるので、自分の博論の指導をしてくれる先生を見つけなければならないのだ。大学選びというよりは、先生選びなのである。自分の研究に近い○○先生が××大学にいるからそこに行く、という感じ。

ケースバイケースなので言い切れないが、先生に内定をいただければ、ほぼ決まることが多いらしい。実際、私の場合は東北大学を目指したわけではなく、指導いただきたいF先生がいるのが東北大学だった、ということである。F先生をどうやって見つけたかというと、とある方にご紹介をいただき、つなげてもらった。非常にラッキーだったと思う。

ただ、これはあくまで私のケース。博論指導は負担が大きいので積極的ではない先生も多いと聞くが、なかには「当研究室の博士課程に興味ある方はいつでも連絡ください」とホームページに書いているオープンな先生もいる。これも大学によって、研究室によって、先生によって、ほんとうにいろいろなのだ。

出願は修士課程と同じく、4月入学の場合は10月から12月にかけてが多い。なので他の大学の博士に行きたい人は、どんな先生がいるかを情報収集して、少なくともM2の夏休みの終わりぐらいまでには先生を見つけてアプローチをすることをおすすめする。知り合いのつてを頼ったり、自分のテーマの論文を書いている先生を探したり、いろんな方法があると思う。学会に参加してみるのもいいと思う。特に学会の後の懇親会は、いろんな先生と名刺交換ができるチャンスなのでできれば出たほうがいい。

出願から発表まで

先生から内定をいただいたとしても、試験という関門を通らなければならない。東北大の場合、書類審査と、面接審査だった。出願書類には修士論文が含まれるし、研究計画書も出すので、「こんなレベルでいいのだろうか」と最後まで不安だった。それと、英語の試験があるが、これはTOEFLやIELTSなど外部のレベル試験の成績表をそのまま出す形だが、「何点以上」という制限はなかった。私は修士1年の時に留学を考えていたことがあってIELTSを何度か受けていたので、1年以上前だけど一番いいスコアのものを出し、このために受け直しはしなかった。こんな点数でいいのか最後まで不安だったけど、そこはあまり重要視されていない感じがした。

2月始めにあった試験は、F先生ともう一人の先生の面接試験。圧迫面接になったらどうしようといろいろ準備していったが、終始和やかな感じで終わった。まあ、あの感じでは落とされることはないだろう。。。と少し楽観的にもなったが、こればっかりは結果が出てみないとわからない。

発表まで約1ヶ月。長かった。なんだか中途半端で、何をやっても落ち着かない日々だったと思う。

結果発表はオンラインで。大学のホームページに行き、無事、自分の番号を確認。受験番号で見る限りはすべて連番で、落とされた人はいなかったのではないかと思う。

合格はやっぱりうれしいものだ。早速、お世話になった方々に報告とお礼。これで晴れて研究者の入り口に立たせてもらい、博士号取得という大きな山に向かうこととなった。

研究はシニアに向いていると思う

さて、修士で十分、御の字、と思っていた私が、なぜ博士課程に進もうと思ったのか。その理由はこちらのポストに書いた通りだ。

付け加えるとすると、研究が楽しくて、もっと続けたかったのだ。博士に行かずとも研究はできると言えばできるが、私にはその自信はなかった。指導してくれる先生と環境が必要だった。

そして、比較的時間に余裕があるシニアだからこそ研究は向いているとも思う。研究は仕事とは別の脳を使うし、時間もかかるので、現役バリバリのハードな生活を送る人ではかなりきつい(やっている人は周りに結構いるけど)。ガイダンスで先生が「研究は生産活動です」とおっしゃっていた。新たな知見を生み出すということは、どちらかというと実業のサポートの役割で、そういう意味でもシニア向きなのだ。

誰かの役に立つ、よりよい生産物を世に出すためなら、そこに自分の残り少ない時間とエネルギーを費やす価値があるというものだ。

博士号が取れたとして、その後は?

博士課程は基本3年だけど、理由があれば長期履修が認められていて、先生からは「(最長の)6年の長期履修をしておいてください」と言われた。社会人だと、やはりそれぐらいかかる場合が多いらしい。長期履修をしておけば、学費は3年分で、最長6年までいられるということだ。

6年だとすると、卒業する頃には私の年齢は・・・なかなか恐ろしい話だ。その歳で博士を取ったとして、いったいその先はあるのだろうか。

それを考えると、なんて無謀で、割に合わない話。

でも紛れもなく自分がそう決めて、こうなった。もう、いろいろ考えたところで仕方がないのだ。

賽は投げられた。あとは、少しづつでも、とにかく前に歩を進めていくだけだ。

授業開始の4月第2週は、仙台では桜が満開。学内のカフェのオープンテラスにて。広々した庭では学生たちがお花見中。


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