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社会人大学院修士課程で何を得たか

矢のように過ぎた修士2年目

このnoteで過去いち反応があったのは、社会人大学院の1年目を振り返ったちょうど1年前のこのポスト。学費や二拠点生活コストのことなどもリアルに書いたからだと思う。やっぱりみなさん「いくらかかるか」に興味あるんですね。

そしてあれからまた1年の時が流れ、修士課程のゴールでもある修士論文もこの1月に提出、口頭諮問を経て無事受け付けていただき、今月末、政策学修士の学位をいただけることになった。

M2(2年目)は2ヶ月半の北欧滞在もあり、M1よりさらに時の流れが速く、ほんとに「あっちゅうま」に終わってしまった感じ。修士論文はサーキュラーエコノミーの日本とフィンランドの比較論文で、10月頃から執筆を始めた。現地滞在費は論文の取材ということになるのでそれをコストに入れ、学費、二拠点生活のコストを合わせると2年間でかかった費用は430万ほどになった。

2年間で自己投資に430万。まあまあだ。そんな余計なことをしなければ運用に回せたはずで、老後資金をかなり減らしてしまった。我ながら勝負に出たなあという感じ。

なので問題は、その投資が自分の残り少ない「未来」に対してどれだけインパクトがあったのか、という一点だ。欲しい環境を作るための「投資」だったのか。それとも満足は得たが次につながらない「消費」に近いものだったのか。ここは自分に厳しくチェックしてみたい。

修士課程から博士課程へ

総決算をする前に、卒業したあとの身の振り方についてまだポストしていなかったのでここで詳しく。

結論からいうと、4月から他大学の博士課程に進むことになった。私の研究テーマは「サーキュラーエコノミーと地域」。これからの研究分野で、非常に面白いテーマなので研究は続けたい、でもどこで?と悩んでいたところ、ご縁あって地域イノベーションで名高い先生を紹介していただくことができて、先生のいる東北大学大学院経済学研究科を志願、院試を経て入学を許可された。ということで、4月から東北大学大学院にて博士論文を書き、学位取得を目指す。年齢を考えればもうこれは「挑戦」というより「賭け」に近い。

「博士に進む」という選択肢は、修士に入った時点で当然あったけれど、年齢的にも知力的にも「私には無理」と思っていた。博士は修士とは比べものにならないぐらい大変、というのがいろんなところから漏れ聞こえてきていた。実際、修士から博士に進む人は減少傾向にあり、最新のデータでは10.3%、つまり10人に1人。社会人大学院ではおそらくもっと少ない。

「進学」を考えはじめたのは北欧にいたときだ。フィンランドで訪れた大学があまりによかったので、留学して、博士コースは無理でも「ダブル修士」なら行けるのではないか。再びフィンランドで暮らしたい、という気持ちも大きかった。しかし円安でコストが思った以上にかかるのと(日本の倍)、仕事が忙しくなったことで断念。結果的に、国内で実務を行いながら研究を行う「実務研究者」を目指す形になった。幸い、仕事もサーキュラーエコノミーに関する業務なので、仕事と研究活動のシナジーがほぼ完璧なのだ。

60を過ぎて、#シニア学び直し のつもりで決めた大学院入学。しかし気づけばアカデミックのレールに乗っていて、すでに「シニア学び直し」の枠を超え「ガチ勢」になった。つまり、人生の方向性が変わったのだ。

専門分野を得たことの効果

自分への教育投資の費用対効果の話に戻る。私にとって社会人大学院の2年と400万は、60歳から80歳までの人生の最終フェーズ(第4コーナー)の基盤になったと言える。そこには、ゼミの増淵先生を始めとする法政の先生方、学友そしてたくさんの友人、知人の厚意と応援、家族の協力もあったからこそ実現した。

そのおかげで私は自分のアカデミックな専門分野(私の場合は「サーキュラーエコノミー」)を得ることができた。

この効果は大きかった。ご縁をいただき来期は某大学の社会人講座でサーキュラーエコノミーの非常勤講師をすることが決まり、それ以外にもサステナビリティ関連のアドバイザーなど多方面からオファーや打診をいただいている。まだ卒業もしていないのに、である。

400万超の投資回収は、もちろんまだできてはいない。でもこれによって新たな世界に一歩進めたことは間違いない。環境も大きく変わり、来週、ついに福島を出て東京での生活が始まる。これまでの二拠点ではなく、拠点を移すのだ。今度はシェアハウスでなく、部屋を借り、仕事と研究に集中する。大学院のゼミは基本オンラインなので東京にいても支障はない。

これから最短で3年間、最長で6年間かけて博士の学位授与に値する論文に挑戦する。わが人生最後にして最大の挑戦だ。挫折もたくさんあるだろうし、体力との戦いが一番の懸念だ。でも、もともと楽観的な性格なので、未来は明るいと信じている。そもそも誰に言われたわけでもない、自分がやりたいことなのだ。ありがたいことに、応援してくれる人がたくさんいる。

この脳天気さを最大の武器に、遠くで明るく輝く光を目指して、一歩一歩、足を進めて行こうと思う。

修士の2年間。それは自分の人生をどう終えるかのプランを大きく変えた、まさに運命の2年間だった。関わっていただいた方、本当にありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願いします。


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