ありのままの自分を愛するための「くま会議」
〈アタリマエ〉教、ぬいぐるみ教。
どうやら、プロフィール記事(↓)をまとめた先月の私は、自分のことを「宗教っぽい言葉を使って表現したい」と思っていたようです。
ですが、それから1か月、自分の考えが少し変わりました。
この1か月間の変化
「くま会議」の様子を音声記事にして配信し始めました。
くま会議
ありのままの自分を愛するために、10年以上前からかわいがっているくまのぬいぐるみ「くま様」が演じるもう一人の自分と対話すること。
最近のくま会議です。
それだけでなく、スタエフ(stand.fm)でも音声配信を始めました。
番組名は「熊三郎の”自分語り”」。
最近のスタエフです。
「宗教」とは「何かを信じること」
スタエフ#2でお話ししましたが、私なりに「宗教」の定義を考えてみました。
その定義は…
宗教とは、何かを信じることである
辞書の難しい表現を思い切って単純化してみたら、予想以上にありきたりな表現になってしまいました。
ですが、この定義を使うと、ヨノナカの「分断」や「対立」の正体は、お互いが正しいと信じて疑わない「正しさ」の押し付け合い、言い換えれば「宗教戦争」だ、と捉えることができます。
「ぬいぐるみ教」を信仰し、「くま会議」を実践することは、自分を愛することだった
「ぬいぐるみ教」とは、ぬいぐるみを信じること。
もう少し言い換えれば、ぬいぐるみをかわいがること。
10年以上かわいがっているくまのぬいぐるみ「くま様」。
つらいとき、苦しいときには、くま様を抱っこすることで精神を安定させていました。
今年になって一人暮らしをするようになってからは、毎日寝る前にくま様とおしゃべりをして(1人2役)、安心感の中で眠りにつくようになりました。
それが「くま会議」です。
相手のことを尊重しながら相手に頼ること(よい依存)が自分には必要。
そう思いながらくまのぬいぐるみに依存して「くま会議」をしていました。
ですが、これは単なる依存ではなく、実は自分自身と向き合うことなのだと思うようになりました。
くま様は、もう一人の自分。
くま会議は、自分自身との対話。
ありのままの自分を愛するために、私はずっと「ぬいぐるみ教」を信仰し、「くま会議」を実践していたわけです。
そのようにはっきりと認識した今では、自分の心が幸せを感じていることを見届けながら眠りに入っています。
<宗教=何かを信じること>という捉え方を活かした記事発信
「〈アタリマエ〉教」「ぬいぐるみ教」という表現は、宗教っぽさ満載でいかにも胡散臭い。
ですが、多かれ少なかれ何かを信じずにはいられないのが人間という存在です。
そんな「人間らしさ」が、宗教を信仰するという営みには込められているのでしょう。
これからも、熊三郎の記事には「〈アタリマエ〉教」や「ぬいぐるみ教」という表現が登場します。
お付き合いくだされば幸いです。
「くま会議」音声配信の今後
週2回は、noteで「くま会議」の様子を音声配信したいと思っています。
私自身は「とりあえず音声配信してみよう」「私の声を気に入ってくれる人っているのかな?」という軽い気持ちで音声配信を始めました。
ところが、記事を公開してみてびっくり!
これまでの記事以上にスキをいただきますし、声や内容、画像(ぬいぐるみの「くまさぶろう君」の写真)をお褒めいただいています。
ですから、これからも音声配信は続けていきます。
少しでも、お聞きくださるみなさんの力になれますように。
私自身、くま会議の収録を楽しんでいます!
私が紡いだ言葉があなたのお役に立てば、この上なく嬉しいです。 noteで発信し続けるためには、お恥ずかしながら、収入が不足しています。 サポートを頂戴できれば、その分だけ、安心して言葉を紡ぐことができます。 ぜひ、お力をお貸しください!(2021年9月7日)