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「優しさ」「思いやり」の源泉は、乗り越えてきた辛い経験

先日、「『実家はどこ?』という質問に落胆する私」という記事を書きました。

「実家がない」「頼れる身内がいない」私。

「ある」「いる」ことが暗黙の前提になっている事柄について、「ない」というのは切ないものです。
例えば、不慮の自己などで病院に搬送された場合、「実家はどこ?」「ご家族は?」などと聞かれることになります。
「…ないです。」と答えるしかありませんし、何となく引け目も感じます。

もちろん、そんな境遇をできるだけ前向きに解釈して、劣等感から抜け出すには、それなりの努力が必要でしょう。
また、他人が簡単にどうにかできる問題ではありません。
ですが、「ない」を経験した人は、ほかの「ない」人の心中を察しやすくなるのではないでしょうか?

私は常々、「愛と思いやりにあふれた社会」を切望しています。
そのために私ができることは、普段の人間関係の中で、相手に対して思いやりを持つこと。
これまでの経験をもとに、相手が喜んでくれそうなことを推測します。
とはいえ、自分自身にある程度の心の余裕がなければ、できることではありませんが…。

思いやりのある優しい言動をするうえで、自分の辛かった経験がきっと役に立つ

…このことが言いたくて、今日の記事をまとめました。

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