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夢の叶え方はひとつじゃない

私は、日本語講師だ。
「海外の人に日本語を教える」
それは一度諦めた夢だったが、想像と違う形で叶えることができた。

ずっと憧れていた日本語教師

私は高校生のころ、日本語教師になるのが夢だった。
これといったきっかけがあるわけではないが、ただ単純に日本が好きだから、日本を知ってもらいたいと思っていた。

日本はいい国だと思う。
ときどき息苦しさを感じることはあるけれど、食べ物がおいしくて街がきれいですばらしい文化がある。
最近見ることが少なくなった、外国人が日本のいいところ言っていくよ~みたいなテレビ番組も嫌いじゃなかった。

もちろんほかの国が嫌いなわけではないし、もしかしたら日本よりもっといい国がたくさんあるかもしれない。
でも私は日本が好きだ。
そう思えるのは、きっと今まで幸せに暮らしてこられた証拠かもしれない。

日本っていい国だし、日本語がわかれば海外の人ももっと日本の良さが伝わるんじゃない?
いっちょ私も教えてみるか!
そんなふんわりとした理由で、私は日本語教師を志望するようになった。

薄れる気持ち

日本が好きだから、日本を知ってもらいたいから、という単純な理由で日本語教師を目指していた。
しかし大学受験に失敗してしまった。
第一志望だった日本語教育を学べる大学には通えず、とりあえずで受けた日本語教育とは全く関係のない滑り止め大学の経済学部へ進学した。

希望していた大学ではなかったけれど、友人や教授に恵まれとても充実した学生生活を送ることができた。
興味のなかった経済や経営の勉強もやりがいを感じていた。

そんな中でいつしか日本語教師への気持ちが薄れてしまっていたのかもしれない。
就職活動が始まると、頭の片隅に「日本語教師」というワードは存在していたが、積極的にそのワードに向かって動くことはできなかった。

そもそも日本語教師というのは新卒にはなかなか条件が厳しい。
ましてや日本語教育を専攻しているわけでもない私には到底無理だ。

現実的に将来を見据え、私は地元の金融機関に就職した。

ある選択

金融機関の窓口として働きながら、結婚、出産を経験した。
次男を出産後、夫の地元で家を建てることになり退職。

しばらくは専業主婦生活を送っていたが、2年ほどどっぷり男子2人育児をして「もーいいかな」と思ったので仕事を探し始めた。
近所で短時間のパートでもするか、と思っていたところに飛び込んできた求人広告。
超近所、時間もちょうどいい。ここにしよう!

なんやかんや無事に採用され、事務員として働き始めた。
その仕事先がまさに今私が日本語講師ボランティアをしている団体だった。

その団体では随時日本語講師ボランティアも募集していたので、事務員をしながらそちらの活動もできないかお願いしてみた。
「ぜひ」とのことではあったが、ここの日本語講師は有償ボランティアで、学習者はお金を払って日本語を学びに来ている。
お金をもらっている以上ただ自由に話して終わり、というわけにはいかない。
ひとりで教壇に立つ前にそれなりの研修や実習を受け、合格する必要があった。

それにかなりの時間がかかった。
なんせ何の知識もないまま飛び込んでしまったので、聞くことすべて「?」だった。
日本語ってこんなに複雑なのか、こんなルールがあるのか、よくこんな言語勉強できるな、と考えながら毎日教案を作っていた。

仕事をしながらの研修と実習はかなり苦労したが、なんとか合格することができた。

2021年7月、私は日本語講師になった。

想像とは違ったけれど

海外の人に日本語を教えるってことは、やっぱり日本語学校の教師にならなきゃいけないんだろうな。
高校生のころの私は、そう思っていた。

しかし私は今、日本語学校ではなくボランティア団体で日本語を教えている。
教師ではないので、「日本語講師」だ。

高校生の私はそんな選択があるとは知らなかった。
想像とは違ったけれど、もともとの目的であった「日本っていい国だよ」ということを伝えられる点に変わりはない。

今、とてもやりがいを感じている。

夢の叶え方はひとつじゃない

思い込みで夢をあきらめる必要はないし、他の方法があるんじゃない?と視点を変えてみることはとても大切だ。
この経験は、30歳を過ぎてからの大きな学びとなった。

今はまた新たな目標もできた。
もちろん日本語講師としての活動も続けながら、どうすれば次の目標に近づけるか考えている。

夢の叶え方はひとつじゃない。
私から私へ、この言葉を忘れないようにここに記しておく。






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