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今日は朝から色々思うところあったのか、詰め込んでます。
今日の未来予想
ずっと自習。不安だ。"何時間も集中してやれるか" 不安だなあ。
ん?…… そこで不安の中身がおかしいことに気づく。普通に無理。
目的は勉強の効率・時間を最大化すること、大目標は知識を詰めること。中目標は勉強する環境に身を置くこと。小目標は教材を広げること。
目標の明確化はいい(まだ曖昧だけど)(i my me mineだけど) 数値化は嫌い……ではなくて慣れていない。慣れていないから嫌いなの。
他人に依存しないで何かを決めることなどできない。オリジナリティも存在しない。
そういう立場に立ってみる。
私たちが普段行う行為・思考・感情など、それら全ては真似事なのだ。悪ければただ繰り返すだけ。良くてもこれまでの蓄積から相互に組み合わせたにすぎない。字面通りのオリジナリティは存在しない。
ではなぜ真似事が賞賛されるのか。人類史上誰もやったことないことが賞賛されるのではないのか?
答えは オリジナリティ溢れるものを世の中は欲していないから だ。そのような人は誰にも共感されず、むしろ異端として排除される。
だがそのような異端の人も少なからず世界から影響を受けている。つまり他人から影響を受けており、行動・思考・感情はそれに則ったものになる。異端も所詮 人なのだ。
仮に他人に依存しないで決められる人がいるとすれば、生まれた時に"完成"してしまっている人ぐらいだろう。
「ありがたい」という言葉が気持ち悪い。
ありがとうとはまた違う。
義務感が付いて回る。
心と言葉が切り離されている、典型的な言葉の一つだと思う。
反論されることには「ありがたい」という。別の視点を得られたからだと説明する。でも本当に「ありがたい」のかは、主張している内容、気分によるはずた。
自分のが一種の意見でしかなく、そこまで思い入れのない主張に対する反論ならば、そこまで気にならない。「ありがたい」と感じる。
一方で、自分の生き方、こだわりといった思い入れの深い主張に対する反論となると、必死で抵抗しようとしてしまうのではないだろうか。まあ人間は"理性"を持ってるからそのような場合にも「ありがたい」と言える"感情的にならない人"は"よくできた人だ"と評価されるが、
「ありがたい」を公共な場に留まらず、私的な日常にまで導入し始めるとひどいストレスになってしまうというところに危険を感じてしまうのは私だけなのだろうか。。。
振り返り
小論文の書き方と小論文対策の知識詰め込む系の資料を読んだ。
資料がとにかく多い!明日も読む。資料を読む時はシャーペン片手に読むとよい。よくわからないところにQって書いて、その答えとなる部分にAって書いたり。そうすると資料に対して、ただ読むよりも、前のめりになってサクサク読める。定着度も高い。最近は読書もそのようにしている。
ちなみに今は「暇と退屈の倫理学」という本を読んでいる。まだ2章までしか読んでいないが、非常に面白い。立ち読みでもいいから読んでみることをお勧めする。
今のところ最も興味深いのは、人類は定住生活をし始めたことが原因で現在の多くの問題(ゴミ問題や食糧問題など)に悩まされているのだ というのだ。そしてこの本のタイトルにもある暇・退屈という問題も定住生活が原因であるという。
感心させられるばかりだ。
この本に関しても、本そのものに書き込みをしながら読み進めている。
それまでは書き込みをしてしまうと要らなくなった時に売れないなあと思っていたが、いざ書き込んでみるとどんどん愛着が湧いてくる。要らなくなったら捨てればいいだけだ。その中身を自らの血と肉にしてやらなければ意味がない。特に、趣味としての読書ではなく、学ぶ系の読書ならば書き込みを経験的に強く勧める。やったことがないのならなおさら、やってみることを勧めたい。モノは試しだ。
勉学についていえば教科書、参考書、問題集、。
書き込みの内容は先程紹介したQ&A や その他読みながら思いついたことなどを書けばよい。
おやすみなさい。さようなら今日の私。
少し気分が低迷している。
最近のテンションの高さが祟ったか。
よく言えば冷静。
まあ無理しないほうがいい。これを機に気分が高まるまでゆっくりさせてもらおう。
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