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愛なんか、知らない。 第2章⑫もう、戻れない家

 今、分かった。お父さんもお母さんも、「痛み」が分からないんだ。
 子供のころ、学校でつらいことがあって泣いてても、「何泣いてんの? 泣いても何も解決しないじゃない」って、お母さんに冷たく言われた。
 ホントは、なんで泣いてるのか聞いてほしかったのに。慰めてほしかったのに。
 お父さんだって、そんなやりとりを見ながら、「子供にその言い方はないだろ」とかお母さんに言うだけで、私には何も聞こうとしなかった。

 お父さんとお母さんは、似てる。二人とも気づいてないだろうけど、人に対して無関心で、痛みを理解しようとしないところはソックリだ。

「ごめんな、オレら二人とも、ふがいない親で」
 謝って終わりにしようとしてる。私は立ち上がった。
「そろそろ戻らないと」
「あ、ああ、そっか。ごめんな、忙しいのに」
 私は無言で首を横に振った。

「これからも、連絡するから。おばあちゃんのところに会いに行くし」
「来てくれなかったじゃん」
「え?」
「この3か月、会いに来なかったし、LOINでたまに連絡くれたぐらいじゃない」
「それは、起業のバタバタで忙しかったからで」
「仕事で忙しかったら一度も会いに来ないって、私の存在は仕事以下だって言ってるようなもんじゃない」
「い、いや、そういうつもりじゃ」
 たぶん、私は壊れちゃってる。だから、普段は言えないことが言えてる。止まらなくなってる。

「『理沙は、もう葵とは住みたくないって言ってる』なんて、よく私に言えるよね? そんなこと言われたら、私が傷つくって分からない? 普通は、そんなひどい言葉を本人に伝えたりしないよ? 親に一緒にいたくないって言われたら、どんな気持ちがすると思う?」
 お父さんはタジタジという感じで、「ごめん」「そんなつもりじゃなくて」と繰り返す。
「悪気はなかったんだ」
「だから何? 悪気がなければ許されるって? 悪気があってもなくても、私が傷ついたことには変わりないじゃん。それとも、悪気がないのに傷ついた私が悪いってこと?」
「い、いや、そうじゃなくて」

 文化祭のにぎわいで、私たちの言い争いもかき消されていく。みんなは楽しそうに笑って、おしゃべりして、輝いてるのに。私は何で、こんな悲しくてつらい話を今してるの?
 お父さんはうなだれた。

「そうだよな。オレ、会社でも同じこと言われるよ。部下に対して、オレは普通に接してるつもりなんだけど、キツすぎるとか、傷ついたとか。オレの要求は高すぎてついてけないとか。上からは、部下には優しく接しろって言われるけど、できてないことをできてないって伝えるのが何が悪いのか、分かんないんだよね。オレでもできることを『それぐらい、できるでしょ?』って言ってるだけなのに、追いつめられたって言われてもさ。だから、部下の指導なんてやりたくないって言ってんのに。面談で話をよく聞いてやれとか言われてさ」

 ええと。これって、グチ?
 なんで私は今、お父さんのグチを聞かされてるんだろ? 仕事がうまくいってなさそうなのは分かるけど。娘にグチること? それも、親が離婚するって言われたばかりの娘に。
 なんかもう、どうでもよくなってきた。。。

「お父さんもお母さんも、人の痛みを分からなさすぎ」
 その言葉に、お父さんは驚いた顔をした。
「私はずっと傷ついてたよ」
 お父さんは顔をゆがめた。それがお父さんの痛みなのか、怒りなのか、分からない。

「来てくれて、ありがとう。それじゃ」
 私が行きかけると、「ごめんな、葵」とお父さんは背中に投げかけた。
「ミニチュア、続けなよ。好きなことをずっと続けるのって、すごいことだから。葵がすごいのは、誰から何を言われてもミニチュアを作り続けてるところだから。親失格でも、そこは素直にすごいって思ってるよ」
 振り返ると、お父さんは寂しそうな笑みを浮かべていた。
 痛かった? お父さん。
 でもね、私の痛みはその数千倍、ううん、数億倍なんだよ。

「あ~、よかった、葵ちゃん探してたの!」
 教室に戻ろうとすると、明日花ちゃんが階段を駆け下りて来た。
「あのね、完売! ミニチュアグッズ、売り切れちゃったの! だから、急遽、追加で作ろうってことになって」
「えっ。そうなんだ」
「今日はムリでも、明日の分は作れる?」
「うーん、粘土はもうないんだよね」
「うん、だから、これから粘土を買いに行ってくる! 視聴覚室で作業をしていいってことになったから、葵ちゃんは準備しといてくれる?」
「分かった」
 明日花ちゃんは玄関を飛び出していった。

 視聴覚室にカッターマットとデザインカッター、絵の具とかを用意して持って行くと、優さんがいた。
「あれ」
「私も作ることになった」
「そうなんだ」
 よりによって。気まずさマックス。

 二人で黙って、机に新聞紙を敷いて、カッターマットとデザインカッターを組み合わせて置いて行った。
「仲いいんだね」
 ふいに、優さんは口を開く。
「お父さんが見に来るなんて、仲いいんだね」
「そんなこと、ないよ」
 私は絵の具が足りるかどうかをチェックしながら、気のない返事を返した。
「優しそうなお父さん」
 何気なく、ポツリと言ったその言葉に、最高にイラッと来た。

「そうだね、優しいから、離婚するってわざわざ文化祭の日に言いに来たんだよ」
 毒のある言葉に、優さんは絶句した。
「……ごめん、私、何も知らないのに」
 優さんは珍しく動揺してるようだ。
「余計なこと言っちゃったね」

 ううん。優さんは、何も悪くない。何も知らないんだから。
 手の甲に、涙がポタリと落ちる。
「……大丈夫?」
 私は手の甲で涙をぬぐい、顔を上げた。
「大丈夫」
 こんなことで泣いたりなんか、したくない。泣いたりなんか。

「空気、入れ替えよ」
 分厚いカーテンを開けて窓を開けると、ひんやりした風が教室にふわりと舞い込む。風の底には金木犀のかすかな香り。散りかけている校庭の金木犀が、最後の香りを放っているのだろう。
 窓からは、前の校舎の様子が見える。ステンドグラスや色紙で飾り立てられた廊下を、大勢の人が楽しそうに行き来してる。きっと、傷ついて泣きそうになってる人なんて、一人もいないんだろう。

「うちはさ、妹ばかりかわいがってもらえて、親は私には冷たいんだ」
 優さんが隣に来て、一緒に外を眺める。
「両親の仲はいいし、親と妹もすっごく仲良くて、家では3人でずっとしゃべってる。旅行も3人でよく行ってる。でも、私はずっと一人。食事中も、3人は私を抜きでしゃべってる。私が何かをしゃべっても無視されるか、『そんなこと、今話す必要ある?』とか嫌味言われる。テレビを観ながら、3人で盛り上がってて。私は空気みたいな存在で。旅行には私は行かないって前提で話を進められちゃうし。だから私は一人でお留守番。もう慣れたけど。食べ物を買うお金を置いて行ってもらうだけでラッキーだなんて思ったりして」
 私は優さんの横顔を見つめた。
 淡々と語ってるけど、ものすごい壮絶な話だ。

「それでも、親は離婚してないから、まだいいほうなのかもね」
「で、でも、なんで、妹さんばかり?」
「さあね。うちの妹は可愛いからね。顔も、性格も。私はかわいくないし、いつもキツイことばっか言ってるから、子供のころから疎まれてた。かわいくないって」
「そ、そうなんだ」

「妹はテストで何点取っても怒られないし、50点でも『頑張ったじゃない』って褒められる。私は100点取っても何も言われないし、成績が落ちたら『お前はやっぱりダメだね』ってけなされる。叱られるんじゃなくて、バカにされんの。だから、必死で勉強してここに入った」
 優さんは、大事なことを打ち明けてくれてる。私だけに。

「私は、今、おばあちゃん家で暮らしてる。夏休み前から、ずっと。お母さんはタイに仕事で行っちゃって、いつ帰って来るか分からないし、お父さんは私と二人で暮らすのは困るって、おばあちゃんのところに預けられて……で、離婚するから、私はこのままだって。家を売るから、家にある荷物を持って行ってって、さっき言われた。お母さんは、私と暮らしたくないって。お父さんも、暮らせないって」

 なんか、私、自分に起きたことじゃないみたいに、話してる。
 淡々と話す私の声が、私の声じゃないみたいで。
「そっか。どこの家も、いろいろあるんだね」
 優さんは頬杖ついて、真剣に聞いてくれてる。
 そういう優さんだって、つらいはず。自分以外の家族はみんな仲いいなんて。家族がそろっているのに一人ぼっちなんて、そのほうが、きっとつらくて苦しい。
 いつも優さんが一人で行動している理由が、分かる気がする。

「この間、キツイこと言っちゃって、ごめん……」
 優さんは落ち込んだ声を出す。
「ううん、あれ、当たってた。私、いい気になってたから。私、今まで、こういうイベントで班にはなかなか入れなくて、入れてもらう立場だったの。でも、みんなに一緒の班になろうって言われて、教えてって頼まれて、普通に話せるようになって、優さんも一緒に話せばいいのになんて、偉そうなこと考えちゃってて。それで一生懸命話しかけてたんだと思う。余計なお世話だよね」

「後藤さん、人が良すぎ」
 優さんは軽くため息をつく。
「あれは、なんか、後藤さんのことを見てて、イライラしちゃったって言うか。八つ当たりみたいなもんだよ」
「え?」
「私、家では、家族の顔色を窺って、言いたいことを言えないから。親に媚びることもあるし。そんな自分が大嫌いで。それで、後藤さんを見てて、勝手に重ね合わせてイライラしちゃって」
「そっか……」
「あ、ごめん、後藤さんに対してイライラするんじゃなくて、自分のダメさ加減にイライラしてるだけだから」
「うん……」
 言葉が続かず、しばらく二人で黙り込んだ。

「ミニチュア作るの、楽しいね」
 ポツリと優さんは言う。
「ミニチュア作ってる間は、何も考えなくていいって言うか。ミニチュアにハマるの、分かる気がする。私、家でもずっと作ってた」
「そうなの。どんなに嫌なことがあっても、ミニチュアを作ってたら」
 そこで言葉を切る。引っ込んでた涙が、またこみあげてきたからだ。

「大人って、弱いよね」
 優さんの言葉が胸に深く刺さる。
「そうだね」
 さっき会社のグチを言ってたお父さん。全然共感できなかったのは、きっと自分を正当化してたからだ。あんな場面で、「お父さんも大変なんだな」なんて思えないよ。
 空港で恥をかかされたって怒ったお母さん。私と暮らしたくないってことは、私を許せないってことだろう。元はと言えば、お母さんが悪いのに。

 弱い。大人はとっても、弱い。
 私はポロポロと涙をこぼしながら、目の前の校舎で笑いさざめきながら行き交う人々を見ていた。みんな幸せそう。みんな輝いて見える。だけど、私は一人、打ちのめされていて。
 やっぱり、あの家に、私の居場所はなかったんだ。

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