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蛇足 『職人歌合』

「職人」というのとは違うのだが、「職人」で思いついたことがある。道楽で陶芸をやっている。2006年10月に陶芸教室に通い始めた。今となっては何故始めたのか記憶が無い。作業はごく個人的なものなので、他の生徒と特に親しくなるわけでもなく、ただ毎週出かけて何事か作業をして、先生と話をして帰ってくる。始めた頃は上手く作ろうとか、こういうものああいうものを作ろうとか、当然のように欲があった。ある程度技量が上がると、ひょっとしたら作家として生きていけるかも、などと妄想を抱いたこともあった。さらに技量が上がると、かえって己の限界が感じられて道楽に徹するようになった。現在は禅の修行のように感じている。ただ作っている。それでもそれなりの欲はあるので、禅とは違うだろう。禅がなんなのか知らないが。

2007年9月に離婚して、2007年9月から2009年1月までロンドンで働くことになって、陶芸を始めてわずか一年で作ることから離れた。教室をやめることになって、先生から言われたのは、陶芸作品に関係なくいろいろなものを見てくるといい、ということだった。ロンドンには大英博物館 (The British Museum)をはじめとして、ナショナル・ギャラリー (The National Gallery)、ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館 (The Victoria and Albert Museum)、テート (Tate BritainTate Modern)など大きな博物館や美術館からポートベロー (Portobello Market)の街に並ぶ小さな露店に至るまで大小さまざまな「見る」ものがある。これらの博物館・美術館は企画展以外は無料で、蚤の市も見るだけならタダだ。しかも、これらの博物館・美術館は一部を除いて週に一度乃至二度それぞれ別の曜日に夜間開館日がある。それでロンドンにいる間は勤めの帰りに毎日のようにそういうところに立ち寄って、いろいろなものを見てきた。コートールド (Courtauld Gallery)やRA (The Royal Academy of Arts)をはじめ有料の施設もたくさんあり、週末はそういうところにも頻繁に出かけた。帰国後も同じようにあちこち出かけるようになった。

帰国後に陶芸を再開するとともに茶道を習った。茶碗を作るのに茶道を知らないといけない、と思ったのである。たまたま入った谷中のギャラリーカフェに茶道教室の生徒募集の案内が貼ってあって、そこで2009年から2011年まで裏千家の先生に教えていただいた。これは自分が作る茶碗にはっきりと影響を与えた。どういう影響であるか、というようなことは言葉にならないが、道具を作るということについて自分の姿勢をはっきりとさせたと思っている。続けていれば、それはそれで面白かったかもしれないが、正座が辛くなったのと、2011年の暮に当時の勤務先を解雇されたのとが重なって茶道はやめてしまった。勤めをクビになっても陶芸をやめることは考えなかった。不思議なことである。

いろいろ習ったり眺めたりしているうちに、当然、関心や興味の対象は変化する。自分の眼の変化の方向は、古いものへ、有名・有銘から無名・無銘へ、という感じがする。いわゆる芸術とか茶道ではモノについての知識が重要だ。ただ、モノを前にした時に、そういうものは雑音や或る種の汚れになることもある。むしろ雑音や汚れにこだわるのが世間一般で、だからといって自分もどっぷりと世間に付き合ったのでは自分の眼が潰れてしまう。眼とは雑音や汚れの中からモノを探し出すためのものだ。雑音や汚れを識るために知識が重要なのだと思う。

知れば知るほど、識れば識るほど、雑音や汚れの無いモノに惹かれるようになる。しかし、そういうものが稀有であることも思い知るようになるし、何より自分の眼が汚れに塗れてよく見えていないこともいやというほど思い知るようになる。

人もモノと同じ気がする。人にベタベタと貼り付いている世間のタグがどれほど人を醜くしていることか。もちろん、そういうタグがないと世間で生きていくことはできない。世間は個人情報の塊としてしか人を認識しない。だからタグ無しで世間の認知を受けて社会生活を送ることはできないが、タグだけがその人ではないという当たり前のことがわかっていないと、生きることは恐ろしく辛いものになってしまう。

晩年の熊谷守一がこんなことを言っている。

まあ、仕事したものはカスですから。カスっていうものは無いほうがきれいなんだよ。
——九十四歳 1974年

父の仕事を通していろんなものが見えました。
生糸の仲買人は百姓をごまかして買い叩き、番頭は台秤をごまかして仲買人から安く買う。それが番頭の忠義心であり、手腕だったわけです。そうやって人の裏をかき、人を押しのけて、したり顔のやりとりを見ているうちに、商売のこつをのみ込んでいく代わりに、わたしはどうしたら争いのない生き方ができるだろうという考えにとりつかれていったのかもしれません。
——九十五歳 1975年

絵なんてものはいくら気をきかして描いたって、たいしたものではありません。その場所に自分がいて、はじめてわたしの絵ができるのです。いくら気ばって描いたって、そこに本人がいなければ意味がない。絵なんていうものは、もっと違った次元でできるのです。
——九十五歳 1975年

紙でもキャンバスでも何も描かない白いままがいちばん美しい。
——九十五歳 1975年

「獨楽」人にはわからないことを、独りでみつけて遊ぶのが、わたしの楽しみです。
——九十六歳 1976年

『熊谷守一画文集 ひとりたのしむ』求龍堂 より

以前は或る種の冗談だろうと思っていたのだが、今は熊谷が腹の底からそう思っていたような気がする。本人不在の言葉や行為ばかりが横行する世界になってきた。もう人間はいらないね、そんな会話を先日或る同世代の人とLINEで交わした。

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