見出し画像

知里幸惠 編訳 『アイヌ神謡集』 岩波文庫

本書も『百年の手紙』に紹介されていたものだ。

 知里幸恵は、明治三十六(一九〇三)年、北海道の幌別村(現在の登別市)にアイヌ民族として生まれた。そのたぐいまれ語学力と詩才を見いだしたのは、アイヌ語研究で知られる言語学者、金田一京助である。十八歳のとき、金田一の求めに応じて、ユーカラをローマ字で記録し日本語に訳する作業を開始。その正確さと美しさは金田一を驚嘆させた。

梯『百年の手紙』202頁

本書にはユーカラの全てが記載されているわけではないだろう。序文を読むと一応の完成稿のようだが、18歳で始めたユーカラの記録作業は1年足らずで終わってしまったからだ。知里は19歳3ヶ月で他界してしまったのである。もともと心臓に疾患を抱えていたのだそうだ。そのユーカラが詩の調べとして美しいとかどうとか、私にはわからない。私に文学的な感性が欠けていることは、時々このnoteに書き殴っている私の短歌や俳句を見れば一目瞭然なので断るまでもないのだが、本書について語る前にはっきりさせておいたほうが良いかと思ったまでだ。

その序文だが、読んでいて涙がこぼれてしまった。アイヌという遠い人々のことではなく、「滅びゆくもの」が自分自身のことに思われたのである。

 太古ながらの自然の姿も何時の間にか影薄れて, 野辺に山辺に嬉々として暮していた多くの民の行方も亦いずこ. 僅かに残る私たち同族は, 進みゆく世のさまにただ驚きの眼をみはるばかり. しかもその眼からは一挙一動宗教的感念に支配されていた昔の人の美しい魂の輝きは失われて, 不安に充ち不平に燃え, 鈍りくらんで行手も見わかず, よその御慈悲にすがらねばならぬ, あさましい姿, おお亡びゆくもの……それは今の私たちの名, なんという悲しい名前を私たちは持っているのでしょう.
 その昔, 幸福な私たちの先祖は, 自分のこの郷土が末にこうした惨めなありさまに変わろうなどとは, 露ほども想像し得なかったのでありましょう.

3-4頁

ユーカラは謡の形をとっているが、そこに語られているのは倫理観や世界観だ。アイヌは文字を持たないが、記録媒体に乏しいというのが実際的な理由だろう。口伝で何事かを伝えようとすれば、記憶に残りやすい形式を取らざるを得ない。リズムに載せやすい言葉、理屈の通った物語などだ。「神(kamui)」という言葉が使われているが、社会のあるべき道理のようなものだろう。自分達の生活を自分達の生活から離れた場所から俯瞰している存在とでもいうべきものだ。ユーカラの中で「神」とは別の扱いだが、物語の主役になっている梟、狐、獺、狼、蛙、兎、貝などもユーカラの語り手や聞き手にとっては「神」のうちと認識されていただろう。こうした動物たちは自分達とは違う存在だが自分達の暮らしの近くで日々接している。そういう点では「神」ともども、人々の正しい行いもそうでない行いもちゃんと見ていて、最終的には人々の行いに対してきちんと判断が下されるという倫理観を担保するものであったと思う。誰のものでもない神の大地で人は仲良く暮らすべきとの倫理観・世界観がユーカラの世界にはある。

生態系という点で生活資源に余裕があり、人の自他の意識を包摂できるうちは国家という形態があろうがなかろうが、人の暮らしを営むことができたのだろう。それが、集団やその生活が拡大する中で余裕がなくなり、自他の意識が先鋭化する中で、「所有」の意識も同様に先鋭化したのではないだろうか。あるいは、余裕があろがなかろうが、所有者が判然としないものは自分の所有にしてしまおうというセコイ了見が本能として人間に備わっているのかもしれない。

自分か他者か、という自他の別の意識が先鋭化するというのは、自分でも他者でもない、という「余白」が許容されないということだ。歴史の中では「入会地」というのがあるが、これは自分のものでもあり他者のものでもあるという「共有」の概念で「余白」とは異なる。あまり考えたことはないのだが、余白を放っておけないというのでは心が休まらないのではないだろうか。誰と会っても、何を見ても、自他の別の意識が先に立ち、「自分」の領域を確保することに汲々としてしまう。そうした「自分」の領域や所有の度合いを数値化して、その数字にひたすら目を走らせる。一人一人が皆そのように「自分」の領域を拡大すること肥大させることに関心を集中したら、有限な物理世界はやがてどうなるだろうか。

数字の多寡、勝ち負け、損得、そんな目先の一瞬にこだわり続ける人生は、緊張に満ちて充実しているように見えるのかもしれない。しかし、自分にとって死活問題であるようなことが、他者から見ればどうでもいいことであるのも一方の現実の姿だ。ほんの少し想像力を働かせれば「余裕」や「余白」はいかようにも創り出すことができる気がする。その想像力を知性とか感性と呼ぶのである。

ところで、北方領土返還の話が一向に進展する気配がない。沖縄が返還されて、北方領土が返還されないのは、交渉相手の差異によるところも勿論大きいのだろうが、「領土」の成り立ちのそもそもの違いが影響しているのではないかと思うのである。沖縄もアイヌの生活圏も「日本」が拡張していく中で「日本」に組み込まれた土地なのだが、「日本」の濃さが違うように思う。例えば、かつては札幌市内においてすら地区によって方言が異なった。それは入植した人々が出身地ごとにまとまって地区を形成したからだ。また、先住民が所謂「国家」を形成していたわけではなく、その先住民にしても「アイヌ」と一括りにできるものか否か議論が残る。幕末に日露和親条約が締結されて日露の国境が確定された際には、おそらく先住民のことは考慮の範囲外で、確定された国境の此方と彼方の両方に先住民の暮らしが残されたままであった。そうしたことをみても、「返還」を叫ぶ声の強さや質的なものに影響が皆無というわけにはいかないのではないかと思うのである。勿論、沖縄には別の問題があることは承知しているが、琉球王国として国家の体を成していた土地とそうではない土地との違いは大きいと思う。

蛇足:
たまたま50年前の今の時期、あさま山荘事件の真っ只中だった。子供が起こした事件だが、人質の監禁時間219時間は日本の犯罪史上今なお最長記録だそうだ。この事件で逮捕された犯人の一人、坂口弘はこの事件も含め殺人16件、傷害致死1件、殺人未遂17件で起訴され1993年3月9日に死刑が確定しているが、この殺人件数はオウム事件で起訴された麻原彰晃が27人の殺人容疑で死刑が確定する2006年9月まで最多殺人件数記録だった。犯行の子供たちは共産主義のようなものを目指したらしいが、結局は権力ごっこが本物の銃器を使うことによって騒動になっただけのようだ。犯人の子供たちはいずれも一応大学生あるいは元大学生だったらしい。日本の大学とか高等教育が機能していない典型的事例と見ることもできるのかもしれないが、思想というものが個人に属するものである以上、定型化された「教育」が機能すると考えるのは無理がある気がする。「滅びゆくもの」について考えていたら、ふとこの事件のことを思い出した。

この記事が参加している募集

#わたしの本棚

18,053件

読んでいただくことが何よりのサポートです。よろしくお願いいたします。