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蛇足 『お楽しみはこれからだ 映画の名セリフ PART4』

前回書いたように、PART3までとは違って、本書には個々の作品だけでなく、監督や俳優を取り上げて、その人のセリフではない言葉についても語っている。あとがきにある「映画人(ないし映画の周辺の人)の言葉」とはそういうことだ。

記憶力の悪さを補う意味もあり、このPART4には、映画人(ないし映画の周辺の人)の言葉を組み入れてみた。こちらは活字で読めるから、まあ楽なのであった。

247-248頁

例えば、サミイ・デイヴィス・ジュニアについてのページがある。彼には"Yes, I can"という自伝や『ハリウッドをカバンにつめて(清水俊二 訳)』などの著作もあり、後者については和田が装丁を担当している。その著作のことや出演作品のことを簡潔にまとめ、最後に著作からの引用で締めている。

「大学へ行けば映画製作や技法について学ぶコースがいくらでもあるが、愛と憧れをこめて何回となく見てきた懐しい場面に再会したときの胸の高鳴りまでは教えてくれない」

37頁

私の世代なら彼の姿は誰でも知っているだろう。1970年代前半にサントリーのウイスキーのCMに出ていたからだ。本職は歌手らしいのだが、本人が映画好きで俳優としても活躍したそうだ。

エンターテインメントと呼ばれるものは文字通り人の心を揺さぶるものであるはずだ。それは理屈ではないと思うのだが、理屈にならないことは存在しないことにして、理屈でまとめることのできるセコイものだけが氾濫して、そういうものに慣らされて人心が荒廃し続けるのが今の現実だろう。そこをどう打開するか、というところが人類史の超難関課題になってしまっていて、これを解かないと人類はそう遠くない将来に滅亡する(俺はその前に死んじゃうから構わないけどね)。エンターテインメントというのは、娯楽というような軽い印象の表記をあてたりするのだが、人の心を揺さぶって、目先の瑣末な損得よりも大事なことに目を向けさせる刺激を与える、という実は人類にとって重い役割を担っている、なんて思ってみたりもする。

サミー・デイヴィス・ジュニアと同じようなことはスティーブン・スピルバーグも言っているらしい。

「ぼくは古い映画をたくさん観て、愛して、分析しました。それから得たのは、テクニックを盗むことではなく、シナリオやアイデアが大切だということでした。ほかのことはただの飾りです」

44頁

映画がビジネスである以上、興行成績と無縁であるはずはなく、表現者側はその辺りの経済事情の制約を受けることになる。例えばマスメディアに取り上げてもらうような方策は必要だし、批評家からの評価も重要だ。しかし、マスメディアや批評家に作品をきちんと評価できる眼があるかどうかというのは別の問題だ。ロバート・レッドフォードの言葉がある。

「一部の批評家は一つのことがすべてだと考えるのが好きなようだ。"この映画の真のメッセージはこれこれだ"なんて。そんなものは馬のションベンだよ」

116頁

俳優とか監督とか言っても、仕事に対する考え方は人それぞれだろう。表現者としてのこだわりの強い人もいれば、勤め人のような人だっているにちがいない。しかし、世評とか同業者との比較、歴史上の「名作」との比較といったことに耐えるだけの強いものを心に持っていないと、身を世間に晒らす職業を長く続けることは精神的にキツイと思う。ジェリー・ルイスはこんなことを言ったらしい。

「フェリーニは"気になる作家は?"ときかれた時、"自分の作品は自分の赤ん坊のようなもので、子育てだけでせいいっぱい、人の面倒まで見られない"と答えた。それをきいて私も他の映画のことは気にすまいと思った。でも気にかかる人が一人いる。チャップリンだ」

148頁

そのフェデリコ・フェリーニはこう語っている。

「映画ならどんな夢でも具体化できる」
 フェリーニの言葉である。フェリーニは作家として自分のイメージに忠実な映画作りをする。必要なら巨大な作り物を作るわけだ。
 フェリーニはTVには批判的である。寝ころんで見るものに感動は生まれないという。その彼がTV(NHK)のインタビューに答えた番組「いま、映画を語る」はなかなか面白かった。
「コマーシャルのような映像が氾濫し、心を揺さぶる威力を失っています」
「私がなりたかったものは、ジャーナリスト、小説家、デザイナー、画家、俳優、道化師などですが、結果的に今は全部やっています」
 この言葉は映画監督に等しく当てはまりそうだが、とりわけフェリーニのものだろう。

220頁

自我というものがある限り、自己承認欲求と無縁で生きることはできないし、俳優とか映画監督といった表現者はそうした欲求が強いからこそそういう職業に就いているはずだ。しかし、誰に承認を得るのか、そのためにはどうしたら良いのか、ということを全員が考えているとも思えない。それは俳優の側でも思うところがあるようで、ハンフリー・ボガードもこんなことを言っている。

「俳優は観客と自分自身に誠実であるべきだ。嘘のない自分でいなければ、演技はできない」

164頁

俳優としては、自己評価も、自分が頼りにしている同業者や批評家からの評価も大事だろうが、原作者の評価も気になるのではないだろうか。イングリット・バーグマンは自伝の中で『誰がために鐘は鳴る』について映画の公開当時のヘミングウェイとのやりとりを語っている。

「映画を観てくれましたか」
「五回観たよ」
「そんなに気に入ってくれたんですね!」
「いや気に入らなかった。いつも途中で席を立つので全部観るのに五回足を運んだんだ」

196頁

原作の小説家だって表現者だ。やはり強いこだわりを持って生きているはずだ。映像作品化された自分の小説が書いたときのイメージとは似ても似つかないなんてことは珍しいことでもないだろう。

俳優はもちろんのこと、いわゆる芸術家とか文筆家とか、表現者として生きるというのは私如きには想像もつかない難行苦行なのだろう。私は何者でもないただの市井の人として生活することができてよかったと思っている。既に人生の最終コーナーを回って、残すところあとわずかという年齢になり、なんだかとてもホッとしている。

ところで、ジャック・ニコルソン(本書では「ニコルスン」と表記)が好きだ。全部の出演作を観たわけではないし、それどころか観た作品は数えるほどなのだが、確実に観た記憶があるのは『カッコーの巣の上で(原題: One Flew Over the Cuckoo's Nest)』(1975年)、『愛と追憶の日々(Terms of Endearment)』(1983年)、『恋愛小説家(As Good as It Gets)』(1997年)、『アバウト・シュミット(About Schmidt)』(2002年)の4作品。時代背景もあるのだろうが『カッコー』はちょっと作品としての主張が喧しい印象でそれほど好きな作品ではないのだが、『小説家』と『シュミット』はよかった。『愛と追憶』はシャリー・マクレーンが好きなので観たのだが、作品そのものもジャック・ニコルソンも印象に残っていない。本書には『女と男の名誉(Prizzi's Honor)』(1985年)が登場する。

「女と男の名誉」のキャスティングは、キャスリン・ターナーの「いい女」ぶりをうまく利用したものと言える。
 この映画の彼女は殺し屋である。彼女と夫になったジャック・ニコルスンとの対話。
「一年に三、四人は殺してきたわ」
「そんなに!」
「世界の人口に比べればわずかよ」
ニコルスンは雑誌の記事を憶えていて、それを話すのが好きな男である。
「恋というのはホルモンの分泌によって特定の相手の嗅覚を刺激する現象だ」
「人は母親から得られなかったものを求め続ける。子どもの頃与えられなかったものを与えてくれる人を愛する」
 これを「医者の書いた記事だ」とニコルスンが説明すると、ターナーは「それよりお医者さんごっこしましょ」と言うのである。色っぽくてよろしい。

154頁

ちょっと観てみたくなった。ついでにキャスリーン・ターナーの『ローズ家の戦争』と『シリアル・ママ』も。

見出しの写真はミュンヘンの博物館に展示されているV2ロケット。撮影日は2015年6月4日。説明がなければ何だかわからないが、離れて見れば説明がなくてもわかる。説明がなくても気づかせる視点の移動を促すのは何だろうか。

参考:生没年出所はいずれもWikipedia
前回のセリフの主(初回登場順、不明なものは飛ばしている)
Walter Brennan (1894/7/25 - 1974/9/21)
Clinton Charles Sundberg (1903/12/7 - 1987/12/14)
Burt Lancaster (1913/11/2 - 1994/10/20)
Jacqueline Bisset (1944/9/13 - )
Curd Jürgens (1915/12/13 - 1982/6/18)
Robert Mitchum (1917/8/6 - 1997/7/1)
Laraine Day (1920/10/13 - 2007/11/10)
Cary Grant (1904/1/18 - 1986/11/29)
Ingrid Bergman (1915/8/29 - 1982/8/29)
Joseph Cheshire Cotten (1905/5/15 - 1994/2/6)
Dinah Beth Manoff (1956/1/25 - )
Jerry Lewis (1926/3/16 - 2017/8/20)
Clark Gable (1901/2/1 - 1960/11/16)
Humphrey DeForest Bogart (1899/12/25 - 1957/1/14)
Alain Cuny (1908/7/12 - 1994/5/16)
Jean Renoir (1894/9/15 - 1979/2/12)

今回新たに登場した人々
Sammy Davis Jr. (1925/12/8 - 1990/5/16)
Steven Spielberg (1946/12/18 - )
Charles Robert Redford Jr. (1936/8/18 - )
Federico Fellini (1920/1/20 - 1993/10/31)
Ernest Miller Hemingway (1899/7/21 - 1961/7/2)
Jack Nicholson (1937/4/22 - )
Kathleen Turner (1954/6/19 - )

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