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デイヴ・グールソン 藤原多伽夫 訳 『サイレント・アース 昆虫たちの「沈黙の春」』 NHK出版

出所:国連人口基金駐日事務所

何度かこのnoteの記事で使った人口の長期推移のグラフにアクセスできなくなっていた。2015年版はあるのだが、最新版は「こちら」のリンクが切れている。誤解というか不都合な理解というか、そういうものを招くものとして削除するのかもしれない。そもそも統計が整備される以前の人口は推計方法が不揃いで、それを恰も連続した推計値であるかの如く一本の線にして現代の統計と無造作につなげるのは表記としては無理がある。とはいえ、私の邪推だが、産業革命のあたりから爆発的に人口が増加していることがイメージされるとマズい人たちが世界の要となるようなところにいるのだろう。あるいは、世界はいよいよマズいことになってしまっているのかもしれない。

佐野貴司・矢部淳・齋藤めぐみ 『日本の気候変動5000万年史 四季のある気候はいかにして誕生したのか』 講談社ブルーバックス 236ページ 図7-5 (A) 桜花・年輪記録から推定した気候(田上から引用)、(B) 気温(マンの図を簡略化)、(C) 大気中CO2濃度(マンシャウゼンらの図を簡略化)、(D) 太陽活動度(宮原の図を簡略化)

このグラフも以前にnoteの記事で使った。上の人口のグラフとはスケールが違うが、CO2濃度と気温が人口同様の異様な変化をしている。「今年の夏はこれまでになく暑かった」とこのところ毎年語られている気がするが、いよいよ諸々タイヘンなことになっているのは確かなのかもしれない。

そんなときに、昆虫のほうもタイヘンなことになっているという話を耳にした。

養老: (略) 1990年から2020年までの30年間で、世界中で昆虫の8、9割が消えてしまったと言われていますから、重大な変化です。
身近な話で言うと、例えば、昔は高速道路を走ると、虫がぶつかってかなり窓が汚れましたね。その汚れが少なくなったと感じませんか?

『ほぼ日刊イトイ新聞』2024年5月9日 
養老孟司・糸井重里『生死については、考えてもしょうがないです。』

30年で8割減少ってタダゴトじゃないぞ、と思って昆虫の減少のことを検索したら本書が引っ掛かった。昆虫の世界統計は無いだろうから、どのような論法でそういう推計が出てくるのかということにも興味を覚えた。しかし、そんなことよりも、地球という器の容量が一定であるとすれば、突出した増加の見合いとして、それに対応する減少があって然るべきだろう。あくまで印象の問題であるとしても、である。

増勢にある当事者には自己の問題として認識されないが、その不均衡が閾値に達すれば当然に増勢側の当事者の生存をも脅かすのは自然なことだ。その不均衡の深刻さを増勢側も身の回りの「異変」で知ることになるのだが、「異変」と呼ぶほどの不均衡が顕在化してしまったら、結局は手の施しようがない。それは我々の生物個体としての生理的変化と同様だ。何からしら病変が大きくなって後戻りのできない状況に陥ったり、突然の外傷が生命維持の対応能力を超えるものであったりすると、我々はそれを「異常」と認識して医療機関に出向いたり搬送されたりするが、「手遅れ」とまではいかないとしても、疾病というものは寛解しても完治するものではないし、怪我も何かしら痕跡が残る。

昆虫が30年で8割減少したというのは何を意味するのだろうか。人口は、国連の統計(Demographic Year Book 2022)によれば、1990年から2020年の間に53億1620万人から78億4100万人へ47.5%増加している。この増加は当然にそれを支えた食料・食糧生産があればこそ実現したのであり、食糧増産を実現したのは農地の拡大と生産性の向上による、はずだ。日本だけを見れば、少子高齢化と過疎化などによって耕作放棄地が拡大を続けているようだが、世界的には森林や未開地の開墾が進行しているのだろう。また、既存の耕地も化学肥料や農薬を投入することで特定作物の単位面積あたりの収量増加が図られているはずだ。

昨今は農薬使用量を減らしていることが宣伝文句のようになっているが、本当にそうなっているかどうかは家庭菜園のような趣味的なものを試みるだけで体験的に推測できる。単純にフローとしての使用と、蓄積効果によるフローの逓減ということも考えないといけない。また、農薬や化学肥料を生産する化学メーカーの収益を見ても、そういうものの生産や販売の動向が容易に想像ができるだろう。採算を問わないというならともかく、生業として農業を営むなら、収量確保は死活問題だ。本当に無農薬で営農可能かどうか、考えるまでもない。

1962年にレイチェル・カーソンが『沈黙の春』を発表し、DDTの使用に警告を発してからDDTの使用が世界的に原則として禁止されるまで42年かかった。DDTは殺虫効果が初めて確認された人工の化合物で1939年にスイスの化学者パウル・ヘルマン・ミュラーが発見した。戦時中は連合軍がマラリアを媒介する蚊に対する殺虫剤として主に南方の戦場で使用し、その後、生産拡大とともに価格が低下して一般家庭や農家に普及した。日本では敗戦直後の衛生環境が劣悪だったことから、進駐軍が大量に持ち込み、シラミ駆除のため学校で学童の頭髪に噴霧したり、空中散布も行われた。そのような極端な使用が一巡した後も農業用殺虫剤として広く使用された。私が幼少期に暮らした棟割長屋は田圃を潰して建てられたもので、周囲にはまだ田圃が残っていた。DDTが使われていたかどうかは知らないが、稲の成長過程に応じた農薬や殺虫剤が散布され、そうした農薬の類をたっぷり吸いながら私は成長した。

DDTの使用が禁止されても、それに代わる化学品が次々に開発され、「安全な」製品として広く使用されている。毒性の無い農薬とか化学肥料というものは無いだろう。本書ではグリホサートの例が取り上げられている。本書によれば世界で最も多く使われている農薬成分の一つなのだそうだ。あちこちで取り上げられるので名前はかなり一般に知られているのではないだろうか。グリホサートは知らなくても「ラウンドアップ」なら知っているという人は多いかもしれない。ホームセンターなどで当たり前に販売されている除草剤で、農業を営んでいなくても、趣味で園芸や家庭菜園をやっている人の間では普及している。

除草剤でも虫は死ぬ。直接昆虫に作用しなくとも、昆虫体内の酵素類に作用したり、生息環境に影響が出る。農薬として使用する側からすれば、効果が大きく且つ持続することが望ましい。需要側にそうした要求があれば、供給する側は商売上それに応えようと努める。かくして大地には化学物質が蓄積される。「科学的に安全」と喧伝する向きもあるが、その根拠となる論文や実験は農薬メーカー側の手になるものが多い。それは当然だ。学者も商売だ。実験や論文執筆には費用がかかる。誰がそれを負担するのか。メーカー側は商売として開発部隊を抱えている。そうした開発に関わる研究費用は製品売上で回収できる。かくして「科学」はカネのある側に味方する。

「科学的に安全」な化学品が蔓延し、その化学品が昆虫を絶滅する方向に作用しているらしい。昆虫が減ると、昆虫を餌にしている動物が減る。また、本書に指摘されている通り、昆虫によって受粉する植物も影響を免れない。大地に染み込み地下水にも微量ながらも溶け出しているだろう。食物連鎖を辿れば、当然に人間にも影響が及ぶ。それでも「科学的に安全」だからと使い続けるのかもしれない。昔、正義の味方の鉄腕アトムの歌にもこうあった。

人間守って
心はずむ ラララ
科学の子
みんなの友だち

谷川俊太郎『鉄腕アトム』より抜粋

科学は人間を守るみんなの友だちだ。科学ってすごいなぁ。ま、みんな生活があるからね。

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