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臨終図巻 61歳

年齢の替わり目になると山田風太郎の『人間臨終図巻』に手が伸びる。60歳は難なくやり過ごした。やり過ごしたけれども、宮仕がいよいよ辛く感じられるようになってきた。

『図巻』によると、60歳で亡くなったのはジンギスカン、日蓮、コロンブス、水戸斉昭、横井小楠、リヴィングストン、ドストエフスキー、スメタナ、クラーク博士、狩野芳崖、黒田清隆、明治天皇、森鴎外、辻潤、木下杢太郎、菊池寛、石原莞爾、ゲーリー・クーパー、小津安二郎、谷内六郎、戸川猪佐武といった名前が挙げられ、一見したところ達成感が滲み出ているように見える。60歳を「還暦」と称してひとつの区切りにするのは人類共通の経験則なのかもしれない。

61歳で亡くなったのは、マホメット、李白、空海、藤原道長、鴨長明、柴田勝家、宮本武蔵、吉良義央、ヘーゲル、千葉周作、安藤広重、ミレー、三遊亭圓朝、内田魯庵、濱口雄幸、トロツキー、ツヴァイク、山下奉文、木村艸太、溥儀、柴田錬三郎、福永武彦、川上宗薫。この中には暗殺されたり死刑になったり自殺した人もいるけれど、こうして60-61歳で亡くなった人を並べてみると、なんとなく、人の寿命というのは60年くらいかなと感じる。ただ、歴史的人物となると、そもそも年齢をきちんとカウントできていたのか怪しげではないか。

よく寺社仏閣に参詣するのだが、空海ゆかりの寺というのが異様に多い印象がある。今のような交通機関の無い時代に、61年の決して短くはない生涯とはいえ、そんなにあちこちに出没して逸話を残すことができたものだろうか、と素朴に疑問に思うのである。中世において、日本全国を勧進して廻った遊行僧である高野聖が弘法大師と解釈されたという事情はあるにせよ、それだけではない気がするのである。殊に東日本にある空海話の多くはよくよく話の裏を読み込む必要があると思っている。

西日本のほうは、空海の生地とされており、その時代の国の中心がそちら側でもあったので、それほど違和感なく空海話を聞くことができる。

出不精の私ですら、これまでに空海ゆかりの地に意図せず遭遇している。たとえば、空海の名前の由来の地とされている高知県室戸市の御厨人窟、得度受戒したとされる東大寺戒壇院、遣唐使帰国後滞在したとされる太宰府、帰国後に朝廷から賜った高野山、太政官符から賜り真言密教の道場にした東寺。どれも西日本に位置しており、謂れを聞けばなるほどと思う。実は、けっこうあっさりとなるほどと思う質だ。

御厨人窟 洞窟が円弧状で閉塞していない 開放的なような、落ち着かないような、妙な感じ 尤も、落ち着く洞窟というものがあるだろうか
撮影日:2012年7月14日
東大寺戒壇院 奈良に出かけると必ず立ち寄る ここの四天王塑像はどれも様子が良い ここ3年ほど改修工事で拝観できなかった 今年10月から公開再開だが今年は奈良に出かけていない
撮影日:2018年3月4日
太宰府天満宮 空海の時代にはまだ存在しなかったはず 菅原道真が生まれたのは空海没後10年ほど経てから 尤も、空海は今まだ生きていることになっているらしいのだが、さすがにそういうことは言わない方がいい気がする
撮影日:2015年12月5日
高野山 壇上伽藍にある根本大塔 高野山の肝は奥之院だと思う 奥之院は撮影禁止 
撮影日:2021年10月1日
東寺 駅からも近いので比較的よく参詣する 撮影日:2021年10月3日

ツヴァイクの死についての記述には少し驚いた。シュテファン・ツヴァイクはウィーンの生まれだが、ユダヤ系ということもあって、そういう時期にオーストリアを離れ、イギリスに亡命、その後、米国を経てブラジルに移った。1942年2月のリオのカーニバルの日、朝刊に日本軍がシンガポールを陥落させたという記事が大きく掲載されていた。その記事を読んでヨーロッパ世界の終焉を感じ、自殺したというのである。

翌二十二日。
「すべての友人に挨拶を送ります。私の友人たちが長い夜ののちになお曙光を見ることができますように! あまりにも性急な私は、今、先にゆきます」
という遺言を残して、ツヴァイクは妻のロッテとともに服毒自殺をとげた。
彼はシンガポール陥落に、彼の精神的故郷たるヨーロッパの滅亡を予感して、そのショックで自殺したものと見られている。

山田風太郎『人間臨終図巻2』徳間文庫 338頁

陥落させた側の国民として言わせてもらえば、なにもそこまで悲観しなくても、と思う。「精神的故郷たるヨーロッパ」とは何なのだろう。一万数千年ほど遡ればヨーロッパの人もチェダーマンのようだったというのに、高々数百年、せいぜい千年程度の表層だけを頼りに些細なことで傲慢になったり卑屈になったりしているのだとすれば、そんな人間の底は知れている。そういえば、映画『猿の惑星』(原題:Planet of the Apes、公開:1968年)の「猿」は日本人のメタファーらしいのだが、そんなふうに見えるんですか、と弱気軟弱な私なんぞはオドオドしてしまう。グローバル化とやらで世界中の人々の往来が活発になって、誰もがどこの馬の骨だかわからない現代の様子を見たらツヴァイクはどう思うのだろう。やっぱり「先にゆきます」は正解だったと思うだろうか。

還暦を過ぎるとその先何年あるかということはともかくとして、体力気力は低下する。実活動寿命としてはそう長くはあるまい。それなのに毎日くだらない宮仕などしている場合か、と多少は焦燥にかられるわけだ。

ところが、給料日を迎えると、人間は多少のことは我慢しないといけないな、と呆気無く焦燥が蒸発してしまう。毎月のことなので、焦燥が実行動を喚起するに至る前に我慢が勝ってしまう。

年齢が年齢なので、賃労働生活は今の勤め先で最後にするつもりではいるのだが、何事も縁なので、何がどうなるかわからない。今の勤務先は定年が65歳なので、無節操で薄弱な焦燥が逆転する頃には我慢したくても我慢の対象がなくなっていたり、今とは別種の我慢に置き換わっているはずだ。それでもやっぱり何かしら焦燥にかられるものだろうか。なんて心配していると、なんだか笑い声が聞こえる。鬼の笑い声だ。

一般に「平均寿命」と言われているものは、正確には0歳時における「平均余命」である。厚生労働省が毎年公表している生命表の中に記載があり、直近では令和5年7月28日に「令和4年簡易生命表」が公表されている。それによると令和4年は男性の平均寿命が81.05、女性が87.09で、前年に比べそれぞれ0.42、0.49短くなった。同表で81歳男性の平均余命は8.31、つまり平均的に89.31歳まで生きるのである。81歳以前に亡くなってしまった人が余命の算出対象から脱落していくのだから、生き残った人の寿命は0歳児の平均余命より当然長くなる。

同表よると、61歳男性の平均余命は22.74、つまり83.74歳なのである。0歳児時点の平均に対し2年半ほど伸びている。齢を重ねていくと、逃げ水のように少しずつゴールが先に伸びる。「もう何にも不安なんかない。今サイコーにシアワセ」という人にとっては、そういう状況が少しでも長く続くと感じられて結構なことなのだろうが、無駄に焦燥にかられている身としては、こういうのはちょっと嫌な感じがする。それでも、去年に比べると自分の終わりが少しはっきりしてきたようにも感じられる。このあたりの心境の変化も面白いものだ。

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