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田中克彦 『ことばとは何か 言語学という冒険』 ちくま新書

勤務先では今年の初めに部門長が交代して、いろいろ新しい試みがなされている。部門の活性化という目的もあり、春ごろから毎週木曜日の昼時に勉強会を開いている。一人15分の持ち時間で毎回二人の講師役が自由にテーマを決めて何事かを語るのである。私は裏方部門なので講師のローテーションに参加する義務はないのだが、皆面白い話を聴かせてくれるので、自分もその面白さの一部に加わりたいと思った。それで部門長に「参加させてもらってもいい?」と尋ねたら「是非!」ということになった。とりあえず9月15日に一コマ受け持ち、言葉について語るつもりでいる。

「ちはやふる」という題で、百人一首の在原業平の歌を題材に、そのわずか三十一音から母語を共にする我々がどれほどのことを受け取ることができるのかという話にしようと今考えている。

ちはやぶる神代かみよも聞かず竜田川からくれなゐに水くぐるとは

谷知子 編『百人一首(全)』角川ソフィア文庫 48頁

ちはやぶる神世もきかず たつた川から紅に水くくるとは

佐伯梅友 校注『古今和歌集』岩波文庫 83頁

テーマは母語である。日本語を母語とする話し手と聞き手が表記の言葉を超えてどれほどのことを共有しているものなのか、共有する可能性があるものなのか、というようなことを語ろうと思っている。そのことで、表記された言葉を別の言語に置き換えただけでは、元の言葉の意図することは置き換えた先の言葉を母語とする人には伝わらないということも明らかになるのではないかと考えた。

いざ、自分の話の原稿を作り始めたら、当然のことながら、確認しないといけないことだらけだった。それで自分の勉強のためにあれこれ資料をひっくり返しているのだが、本書はその中の一つだ。田中克彦を知った経緯については以前に書いた。

改めて読んでみると、自分が言葉というものを何もわかっていないということがよくわかる。わかっていない言葉をこねくりまわして何事かを考えたつもりになっているのだから、その考えたこともろくなものではないということも明らかになる。自意識の強い人なら、ここで奮起して何か前向きなことを始めるのかもしれないが、あいにく私の場合は「まぁ、しょうがないよね」と片づけてしまう質なので、苦笑して終わるだけだ。

尤も、世間の方もそれほど言葉を深く考えている様子はない。「母語」というのは「母国語」とは全然違うのだが、辞書ですらちゃんぽんに扱っているものが多い。そもそも「母語」は意識しないものなのだから、そこに関心が払われないのは当然だ。

そういえば、巷でよく見聞きする日本語の「乱れ」を嘆く語りは、たいてい馬鹿っぽい。なかにはその嘆きの語り自体が乱れていたりする。言葉は当たり前に変化する。その変化の最先端はそれまでの「常識」からすれば「乱れ」と認識されるのも当たり前のことだ。一定の「乱れ」が定着して「変化」と認識されるに至るのである。他所の言葉だと「乱れ」なんだか「間違い」なんだかわからないが、自分が当然の如くに使っている言葉は自分自身がルールブックなので新しい言葉遣いは「創作」とか「創造」といった前向きな感じのものになる可能性を秘めている。

おそらく、物事の成否を自己の外部に設けた権威との整合性に照らして判断する習慣が日本語の社会にはあるのだろう。文字、衣食住の諸事、都市計画、宗教、社会制度、その他様々ものが大陸伝来で、近代以降は伝来元が大陸のずっと向こうの欧米になったというだけで、いつになっても何をするにも範を外部に求める。何事も数字や既成権威の評価に依存するのも同じ思考パターンだろう。しかし、生まれたくて生まれたのではなく、死にたくて死ぬわけでもない、高々数十年の個人の生の在り様をとりあえず納得するには、自分でどうこうするよりも既成の尺度に自分を合わせたほうが手っ取り早いには違いなかろう。

ここまで書いてきて本書の内容にはまだ一言も触れていない。困ったものである。取ってつけたようになってしまうのだが、本書で興味深いのは「第三章 当面する言語問題」の中で語られている諸々だ。19世紀の欧州で見られたいわゆる民族自決運動と母語の関係、母語と政治の関係、あるいは言語の政治的意味といったことは、今まさに問題となっている旧ソ連領域での摩擦や隣の大国での少数民族を巡るあれこれとも密接に繋がっていることがわかるのである。最近の感染症騒動で一瞬立ち止まったかのような「グローバリゼーション」だが、今更大きな流れは変わるまい。日本語にもこれまでにも増してプラスチックワードが氾濫するようになったが、自分の実感としては日本人がかつてに比べて外国語に堪能になったとは思えない。むしろ、バブル崩壊以降は却って内向的になっているように感じられる。それと関係があるのかないのかわからないが、世界が一つのまとまりとして機能する方向に動いているのに対し、民族であるとか言語は多様化に向かっているように見える。例えば、最近も「キエフ」と長年表記されていた都市名が「キーフ」に変更された。一体化と多様化のパラドクスのようなものが、そうした現象面の背後にチラチラする。この三章の話は改めて考えることにする。

注記:歌の表記だが、「ちはやふる」か「ちはやぶる」か。鎌倉時代頃までは読みに関係なく表記には濁点を打たなかった。上の引用では濁点を打っているが、落語も漫画も濁点なしの読みになっているので、こちらの話の都合上、自分のプレゼンでは濁りのない方にした。下句の「水くぐる」は『百人一首』の撰者である藤原定家の読みで、在原業平は「くくる」と詠んだらしい。この読みの違いは描く風景の違いにつながる。「くぐる」と読むと、川の上に紅葉がかぶさるように生い茂っており、その紅葉の重なり合うところを潜るように川の水が流れている様ということになる。「くくる」と読むと絞り染めのことを意味し、川辺の紅葉が映って赤く染まったような水に絞り染めのために括った布が泳いでいるかのような流れの風景だ、という意味になる。尤も、この歌は実際の風景を詠んだものではなく、屏風の絵を詠んだものらしい。

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