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蛇足 『ことばとは何か 言語学という冒険』

今年の春にウクライナで戦争が始まった時、世界が驚愕したかのように感じられた。しかし、つい30年ほど前に、ロシア語と同じスラヴ語系地域であるユーゴスラビアが内戦で分裂した。戦乱の直接的な原因は違うだろうが、エスニックグループの対立として見れば、同じ種類の騒乱の連続と考えることもできるのかもしれない。

1989年の正月をドゥブロヴニクで迎えた。当時はイギリスのマンチェスターで学生として暮らしていて、冬休みを温暖な海辺で過ごしたいと思っていた時に、たまたま学内の旅行代理店で目についた旅行のチラシがドゥブロヴニクだったのである。アドリア海に面した古い街は世界遺産にも指定されている美しい街だった。しかし、経済は既に破綻していて、200%を超えるインフレに見舞われていた。商店の値札は小さなメモ帳のようになっていて、毎日のように値段が変わるのに対応していた。それほどのインフレになると建設工事のような長期に亘るものは予算を立てることができないので観光客の動線から外れた場所の風景は荒んでいた。思い返せば、そういう尋常とは言えない状態がその1年ほど後に起こる騒乱の予兆だったのだろう。

旧ユーゴは「非同盟中立」を謳い、社会主義体制ではありながらもソ連を中心とする勢力とは一線を画していた。政治的に一時的な独自性を打ち出すことはできても、強固な経済基盤を構築できなければ、独立した国家としての存立はおぼつかない。従前から複数民族複数宗教がひしめくバルカン半島にあって、もともと不安定な政治経済を抱えていたユーゴは、カリスマ指導者であったチトー大統領亡き後にチトーに代わるリーダーシップが不在のまま、ソ連の崩壊を機に東側諸国が軒並み混乱に陥る流れの中にあった。1990年6月にスロベニアがユーゴから独立したのを皮切りにユーゴスラビア紛争が起こり、現在の状態で落ち着いたのは2001年のことである。

ヨシップ・ブロズ・チトー / ヨシプ・ブローズ・ティトー
(セルビア・クロアチア語: Josip Broz Tito / Јосип Броз Тито)

母語が同系であることは共同体を構成する動機のひとつになるかもしれないが、肝心の生活が成り立たないようでは話にならない。しかし、オーストリア=ハンガリー帝国、そこから独立したユーゴスラビア王国という多民族国家の枠組みのなかにあって国民生活が安定しなければ、それぞれの民族はそれぞれに「自分たちだけで国を作った方がうまく行くのではないか」と考えるのは人情として自然であるように思う。

しかし、生活すなわち経済というものが機能するにはある程度の規模がないと総体としての固定費が低下せず、自立した単位として存続することが難しい。市場原理の下で、つまりはあらゆる種類の価値が貨幣価値というデジタル表示に換算される中にあって、コスト低減=付加価値向上を実現するには規模の拡大と技術革新しか有効な手だてはない。必然的に経済活動、なかでも生産と流通は規模の拡大を指向する。生産の対局は消費なので、生産と消費の規模拡大は常にセットである。

昨今「SDGs」とか喧しく言われているが、地球という物理的に有限な環境で、市場原理の下に人々の暮らしが営まれていれば、資源は必然的に枯渇する。そんなことは誰でもわかることで、戦後の復興が一段落した1970年代はじめにローマクラブの「成長の限界」という報告書が話題を集めた頃から繰り返し言われていることだ。1970年に大阪で開催された万国博覧会のテーマも「人類の進歩と調和」で、「調和」に関する様々な展示があったはずだ。

しかし、人間生活の現実は結局のところ未だ見ぬ先の危機よりは目先の暮らしのコスパによって左右されるのである。SDGsを騒ぐことと、巨大資本が生産する大量の商品を巨大資本が運営する流通を使って実現した「コスパの良い」商品を消費して家計の出費削減に努めることとは矛盾するのだが、そんなことは誰も知ったことではないのである。矛盾は大きくなることはあっても解消されることは、たぶん、ない。

過去に誕生した生物種の99%が絶滅したという。人類が1%の方なのか99%の方なのか、まだわからないが、今こうして生きている実感としては、1%の方に収まるとは思えない。人間の自意識、市場原理に生きる現実、その他諸々は自滅装置そのものではないか。その前に自分がいなくなるので、そもそもどうでもいいことなのだが。

話は変わるが、幸か不幸か日本には民族問題がない。アイヌとか沖縄とか細かいことはあるが、国を揺るがすような大論争になる類の民族問題はない。この点、日本人として日本に生まれて良いこともそうでないことも当然あると思うが、言葉で悩むことがないのは恵まれていると思う。

言葉、殊に母語は自意識と密接に関係する。「自分」というものをその時々の状況の中で適切に位置付けることができてこそ、心の平和が得られる。1000年を軽く超える他所に例を見ないほどの長期に亘る共同体の中で生きることは、息苦しさがある代わりに安定感もある。その分、外国語の学習では負荷が大きくなるのだが、少なくとも千数百年にわたって母語として育んできた言語を当たり前に使うことができるのは、やはり、ありがたいことだと思う。

その昔、モンゴル系の民族が中国大陸ばかりかユーラシア全土を支配する時代があった。日本もその影響で元寇と呼ばれる侵略戦争を経験し、ただでさえ揺籃期にあって不安定であった武家社会が大きく揺らいだ。しかし、そのモンゴルの方は拡散霧消し、現代においてはモンゴル、中華人民共和国内の内モンゴル自治区、ロシア内の少数民族としてその名をとどめている。十七世紀までは続いていたとされるモンゴル語のエスニック共同体が分断されるに至った一つの理由は言語の分断であろう。モンゴル語を母語とした共同体は、その時々のそれぞれの地域の支配権力の影響下で、モンゴル文字ではなくキリル文字や漢字を使用するようになり、モンゴル語という共通項を保ちながらも民族としての国家樹立からは遠のいてしまった感がある。

日本語の場合は、早い段階から漢字の使用を選択したことが結果的には今日の安定的なエスニック共同体につながったのではないだろうか。本書に次のような記述がある。

ことばについて何か人工の部分があるとしたら、それは文字だけである。ことばは文字をともなって生まれたのではなく、身ぢかにあるどこかの文字を借りてきて使うしかない。日本語が漢字を用いているのはまったく偶然であって、日本語が書かれることを社会が要求したときに、近くには漢字しかなくて、他に選択の余地がなかったからである。もし、漢字以外の、もっと便利な文字があれば、それを用いていたはずである。すなわち、日本語が漢字で書かれているのは歴史的運命であって、自然によってではない。にもかかわらず、いな、だからこそ、漢字の賛美が必要になってくる。欠点の多いものほど、それだけ多くの賛美が必要になってくることは、日々の経験が教えている。
180頁

偶然であれ運命であれ、自ら独自の文字を創造しなかったことで、先進地域からの知見の導入が迅速に進行できたのは確かだろう。しかし、世界的に見れば、こうした事例は多くはないようだ。

十九世紀ヨーロッパでは、さまざまな民族が、他の国家の支配から離れて、独立の国家となる流れが湧き起こった。それに応じて、それぞれの国家は、かねてから、民族運動の中で育てられ、準備されていた、かれらの母語にもとづく国語を創出した。(略)
 これらの語はもちろん、十九世紀になって忽然と現れたのではなく、それにさかのぼる数世紀を通じて育てられていたものが、それぞれの民族・政治状況によって、一挙に躍り出たのである。つまり母語としてはすでに存在していたものが、国家という言語共同体の言語になったのである。別のことばでいえば、自然のことばが政治のことばになったのである。
187頁

自分が使う言語が誕生の段階から政治のドロドロと関わっているとしたら、果たして今のように呑気に好き勝手なことを言っていられるだろうか。横目で、あるいは上目で、周囲を注意深く観察し、あれこれ損得や権謀術数を考え抜いて生きることがデフォルトになってしまう。世に世界史を牽引するような創意工夫を生み出すのはそういう言葉の国々だ。世間には日本の、日本人の、創造力の貧困を嘆く向きもあるが、猿真似だのタダ乗りだの陰に日向に批判を受けながらも、こうして往来で周囲の迷惑も顧みずに寄り目でスマホのゲーム画面を見つめることに夢中になっていられる特権身分を享受できることを僥倖と呼ばずに何としよう。

ところで、前回読んだ時は気にもかけなかったのだが、本書は以下の一節で締め括られている。ウクライナはここに書かれている「非ロシア民族」ではないが、「ロシア」の名の下に絶対安定強靭な共同体を構築しょうとするなら、まずはスラヴ語派民族の共同体を固めるのがものの順序というものだろう。ましてや、黒海というさまざまな意味で豊穣な海に面した地域を本当に独立させておくのは理にかなわない。皆、驚愕したふりをしているだけで、実は責任ある人々の間では想定の範囲内のことだったのかもしれない。しかも、これは後に続くスラヴ語派大共同体編成の前哨戦かもしれない。だいぶ前に書かれた言語学の本を再読し、そんなことを思った。

ソビエト時代であれば、私は決して書かなかったかもしれないこのような状況を、いまはすすんで、心ある読者に伝えることができるので、そうすべきであると思っているけれども、最近プーチンはロシアの非ロシア民族が自らの言語にラテン文字の正書法をあてがうのを禁じる法令を出した。かれらにとって、非ソビエト化がすべてを良くしたというわけではない。
226頁

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