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年末年始

「短歌入門」第3回課題提出。2020年1月7日に投函したと手帳に書いてある。この時点では新たな感染症が発生したことはお上が認識しているが、世間では関心は薄かった。当たり前の年始の様子を自分も詠んでいた。

除夜の雪鐘楼の屋根膨らまし鐘の音呑み込む堪忍袋

年明けて大きな手帳使いだす文字は大きく他は変わらず

帰省してあと何回の正月と言い合いながら囲む食卓

一首目は空想の風景を詠む。「除夜の雪」という落語がある。サゲが今は使わぬ言葉なので、あまり口演されることはないようだが、好きな噺だ。ネットの動画で米朝のをよく聴く。雪が積もると静かになるような気がする。積雪が吸音材の役をするのだろう。実際に見たことはないのだが、除夜の鐘を打つ鐘楼の屋根に雪が厚く積もっている風景を想像して詠んだ。

大晦日だからといって何かが変わるわけではない。時間は連続している。そこに暦や刻限を設けるのは人間の勝手だ。それでも、その暦の年が改まるのは、寂しいような、気持ちを切り替えて前を向きたくなるような、いろいろな想いが去来する。憂きことも嬉しきこともみんな心の奥底に収めて年が過ぎゆく気分を歌にしたつもりだ。屋根に膨らんだ雪を堪忍袋に見立て、そこに過ぎた年のモヤモヤが放り込まれている、というつもりだったのだが、添削では「唐突」とされてしまった。

添削後はこんなふうになった。

除夜の雪鐘楼の屋根膨らまし鐘の音呑み込むいとも穏しく

「穏し(おだし)」という言葉は初めて知った。おだやかである、おちついている、という意味だ。そもそも教養など無いので知らないことばかりなのだが、こうして日常口にしている言葉の中にまだまだ知らないものがたくさんあることを教えていただけるのはありがたく、また、嬉しいことだ。

二首目は年始にまつわる体験を詠んだ。A6版の手帳を使っていた。だんだん小さい文字を書いたり読んだりするのが辛くなってきたので、2019年は同じ手帳のA6版とA5版を平行して使ってみた。大きい方は持ち運びに難があるが、書いたり読んだりが楽なので、2020年からはA5版だけにした。もう手帳を持って歩くような用事もないので、小さいものは不要だ。当然、版が大きくなれば書くことのできるスペースが大きくなる。それで書くことが増えるかというと、単に文字が大きくなるだけで、考えることが良くなったり増えたりすることはない。なんだか哀しい。

添削後はこんなふうだ。

大き手帳使うこの年書く文字は大きくなれど他は変わらず

三首目は説明不要だろう。

添削では、「結句は原作、朱筆どちらも可です。作者の好きな方でよいです。名詞で終わると瞬間的に決まって収まります。動詞で終わると余韻が出ます。」朱筆のほうは以下の通り。

帰省してあと何回の正月と言い合いながら食卓囲む

今回の講師は鶴岡美代子先生。

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