見出し画像

内田百閒 『追懐の筆 百鬼園追悼文集』 中公文庫

内田がメディアに寄せた追悼文を集めたもの。誰かの依頼で書いたものなので、追悼する相手との面識があるとは限らない。本書で内田が追悼している相手は以下の通り。

夏目漱石 師
芥川龍之介 友人
田山花袋 面識なし
寺田寅彦 漱石門下
鈴木三重吉 漱石門下
太宰治 面識なし
豊島与志雄 陸軍士官学校・法政大学同僚
森田草平 漱石門下
尾崎士郎 
杉山元 面識なし 職務上の接触はあり
三代目 柳家小さん 一観客として
久米正雄 漱石門下
宮城道雄 箏の師
堀野寛 岡山時代の友人、妻の兄
柴田豊 岡山時代の友人
中野勝義 法政大学航空研究会 学生
長野初 ドイツ語の個人授業の生徒
片山敏彦 法政大学同僚 東大後輩

こうして並べてみると、師弟関係を軸にした弟弟関係とでも呼ぶべき横のつながりがあるように見える。もちろん、ここに収載された追悼文は文芸誌や新聞に掲載されたものなので、内田がそうしたところからの依頼を受けて書いたものだろう。それでも、宮城道雄や長野初の追悼文は故人への哀惜が溢れているように感じられ、生前の交流の暖かさのようなものが伝わってくる。いろいろな内田評があるが、根は優しい人だったと思う。

追悼文には俳句が添えられているものがある。内田の俳句も好きだ。

亀鳴くや夢は淋しき池の縁
亀鳴くや土手に赤松暮残り
(「亀鳴くや」『小説新潮』昭和二十六年四月)

入る月の波きれ雲に冴え返り
(「鶏蘇仏」『六高校友会誌』明治四十三年六月)

本書には「追悼句集」として俳句ばかり十句並べた章もあるが、文章の後に座った俳句の方が、文章も締まるし俳句も趣を増す気がする。

私が死んでも追悼とか追懐してくれる人はいないのだが、こういうものを読んでいると追悼文というのはいいものだと思う。自分で自分の追悼文を書いてみようか、などと思ってみたりもする。昨年から、旅行に出かけた時に旅先から自分宛に絵葉書を書いて投函しているのだが、これがなかなか楽しい。一泊一通を基本にしているので、今年も奈良と京都から都合3通出した。去年はまだ葉書に書く歌とか俳句を考えるのに四苦八苦していたが、今年はだいぶ手慣れてきた。

山田風太郎の『人間臨終図巻』で内田百閒のところを開いてみた。最後の作品となった随筆集『日没閉門』のことが書かれている。

 内田百閒が次第に痩せ衰え、起居も困難な状態になったのは、昭和四十二年春先からであった。最後の随筆集『日没閉門』は、夫人に背中から支えさせて書いたものである。
 かつて一劃もゆるがせにしなかった文字は、判読に苦しむほど乱れたものになった。
 そしてこの本の校正刷が出はじめたのは、昭和四十六年二月からであった。(山田風太郎『人間臨終図巻』徳間文庫 第四巻 217-218頁)

結局、見本が上がってきたのが死の翌日四月二十一日だったが、二十二日の出棺には間に合い、棺の中に収められた。この『日没閉門』を担当した編集者は新潮社の山高登だった。

自宅の門柱には、人を食ったように「日没閉門」と記した陶板が掛かっていた。山高さんはそれを最後の単行本のタイトルにした。「思い切って凝った造りにしましたが、わずかな時間差で間に合いませんでした」。(日本経済新聞夕刊「彼らの第4コーナー 内田百閒 下」2007年5月27日)

私が本を手にするのは、普段の生活の中でちょっとした引っ掛かりを感じて、そこから辿り着いたものを選ぶ。読み始めてその作者のことが気になり、同じ作者の本を続けて読むこともあるが、そうこうしているうちに別の引っ掛かりも出てくるので、結果としてはデタラメに読むことになる。それなのに、ここで山高登が登場すると、ちゃんと繋がるところは繋がっているのだと気づいて不思議な心持ちになる。

山高登は夏葉社の本を続けて読んだ時期に出会った名前だ。珍しく私が本はいいなぁと思った関口良雄の『昔日の客』に木版の挿絵を寄せたのは、新潮社を退職して版画家として活動していた山高だ。夏葉社からは『東京の編集者 山高登さんに話を聞く』という本が出ている。島田潤一郎氏によるインタビューをまとめた本で、ここに収められた写真や山高の版画がとてもいい。ここにも内田百閒のことが書かれている。

 昭和三○年代半ばには新潮社の出版部には八○人くらいいましたが、百閒さんのような気難しい先生はだれも担当したがらなかったんです。人が大嫌いでね。
 世の中に人の来るこそうるさけれ
 とは云うもののお前ではなし
 世の中に人の来るこそうれしけれ
 とは云うもののお前ではなし
って玄関のところに貼ってあるんですよ。「日没閉門」なんて書いてある表札みたいなものも掲げてあって。
 でも、ぼくはひねた人が好きですし、百閒さんは中学校のときから読んできた作家でもありますから、担当させてほしいといったんです。
(『東京の編集者 山高登さんに話を聞く』夏葉社 77-78頁)

山高は内田の葬儀に当然参列し、出棺には棺を担いだそうだ。最後まで担当者だ。『東京の編集者』には出棺の時の写真が載せてある。先日、内田が暮らした場所を見に行ったので、その写真を見て、あそこか、とすぐにわかった。本を読んでいると、読んだ本の間でのつながりが不意に現れてきて面白い。意識はしていなくても、人生も同じなのかもしれない。生きていて嫌なことは山ほどあるけれど、わずかばかりの面白さを頼りに今日も生きている。


この記事が参加している募集

#わたしの本棚

18,149件

読んでいただくことが何よりのサポートです。よろしくお願いいたします。