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和田誠 『お楽しみはこれからだ 映画の名セリフ PART4』 国書刊行会

『PART3』を読んだときに、もういいかなと思ったのだが、既に本書を予約注文した後だったので手にすることになった。予約しておいてよかったと思った。尤も、予約しなくても普通に書店で買うことができるとは思うが。

取り上げられている作品の時代がだいぶ近くなって1970-80年代のものが多くなり、観たことはなくてもポスターとかチラシに見覚えのある作品があって、本書自体がこれまでのシリーズよりもなんとなく身近に感じられるのが良い。文章も読みやすくなっている気がする。と、思ったら「あとがき」にこんなことが書いてある。

一冊目二冊目あたりは、ほとんど記憶だけで書いていた。三冊目からあやしくなり、今はまるで駄目。メモに頼らなくてはならない。ただし映画を観ながら何か書きつけることは好きではなく、映画館を出てから思い出せるものを書くようにしている。映画が終わった時にはもうケロッと忘れてしまっていることが多いので、この方法もあまり役には立たないのだが、それでもなお頭に残るセリフが自分にとっていいセリフだったのだ、と解釈することにしよう。
 記憶力の悪さを補う意味もあり、このPART4には、映画人(ないし映画の周辺の人)の言葉を組み入れてみた。こちらは活字で読めるから、まあ楽なのであった。

247-248頁

書く方が楽になった分、読む方も楽になった、というわけでもないのだろうが、PART3は確かに少し読みにくかった。内田百閒に言わせれば、忘れたことも含めてリアリズムなのだから、書きにくさを読みにくさとして味わうことにリアリティがあるとも言える。しかし、読みやすいに越したことはない。

あとがきについて触れたついでに、もう一つあとがきに書かれていたことに触れておく。

 ぼくはたった一つの挿入歌のメロディを憶えたくて、あるいは好きな西部劇の中の拳銃の抜き方を確認したくて、映画館に何度も足を運んだ。数秒のシーンをもう一度観るために、三本立の映画館に一日中いたこともある。ヴィデオならこういう手間はかからない。
 一方、その手間が楽しい思い出になっている場合もある。便利なことはいいが、それで失っているものはないとは言えないのだ。ヴィデオで繰り返し見て、昔の西部の遠景に自動車が走っているのを発見しても、それが幸せだろうかと思う。

248-249頁

こうやって何度も観るから映画のことがなおさら好きになったり、映画のことから様々のことに発想が広がって、考えることの幅や深さが大きくなったりすることもあると思う。何かが好きだと言うとき、その何かに対する熱量が本書が書かれた頃に比べると今の時代は低い気がする。

こうやって何かについて文章を書くとき、疑問に思ったことや「あれなんだったっけかな」というようなことを調べるのにネットは便利で重宝している。でも、ネット検索が今ほど手軽ではなく、検索できる内容もテキスト情報に限られていた30年ほど前の修士課程の学生だった頃、課題や論文を書くのに図書館で悪戦苦闘して調べ物をしたり考え事をしたりしていた頃の方が、手にした情報や考えが自分の中で熟成したものになっていた気がするのである。それと、お世話になった図書館の司書のおばさんの笑顔が今でも記憶に刻まれていて、その笑顔の記憶のおかげもあって、アナログの時代が豊かに感じられるのかもしれない。

マクラが長くなったので、今回は付箋を貼ったセリフを並べるだけにする。能書きは無し。

「死んだ蜂に刺されたことあるかい?」

「男の悩みは二種類に決まっています。女とその母親についてです」

「愛が何だ。炎と燃えて一年。あとの三十年は灰だ」

「友人を持つ人間に、敗残者はいない」

「心の耳できけば、何でもわかる」

「私の作品の中の詩に、男たちは魅惑されるの。私の身体の中にも詩があるわ。それを男たちに読ませるのよ」

「昔の戦争は、負けても名誉が残った。この戦争には名誉などない。勝ってもいやな記憶が残るだけだ」

「破壊と苦痛に終りはない。不死身の蛇のように、頭を切り落としても替りが生えてくる。いずれこの戦争は終わるが、次がまた始まるだろう」

「みんなが戦争は避けられないって言う。平和が避けられないってどうして言えないの」

「戦争が始まったら、戦わされるのは素人です」

「くだらない歌だね」
「だから好きよ。大笑いするには恋の歌を聴くに限るわ」

「貧乏人の特技は、本当に愛されているかどうかわかること」

「長い夜だったわ」
「すぐ夜が明ける。朝になれば夜のことは忘れるよ」

「今は映画もテレビもひどいものでしょ。あんなにひどいんだから、ひどい私にもやれるわ」

「女の子でも道化になれる?」
「努力すればね」
「大統領には?」
「努力すれば何でもなれるよ」
「道化と大統領と両方なりたいわ」
「そりゃぴったりだよ」

「死を怖がる奴は、生きるのも怖がる」

「どんな女も顔を洗ったら同じだ」

「危険な仕事か」
「危険かどうかは俺たちが運がいいかどうかで決まる」

「平和は怖い。地獄を隠し持っているようだ」

「誰もが自分を正しいと思っていることが恐ろしい」

本書の中の記述から抜粋して並べただけ

どのセリフが何という作品の誰のセリフであるかは敢えて書かない。原語がどんなものであったのか、気にならないこともないのだが、日本語字幕や日本語のセリフにしたもので外国映画を語るところに面白さがあるとも思う。改めて思うのだが、外国語から起こした日本語というのは、やはり日本の日本語とはだいぶ違う。いろいろ説明をつけようと思えばつけられるのだろうが、誰もが納得できる説明というのは無理な気がする。

本書ではイングリット・バーグマンのことにかなりページが割かれており、上に引いたセリフにも彼女ものがいくつかある。『カサブランカ』は何度か観たが、他の作品を観た記憶がないので、本書を読んでAmazonでDVDを何枚か注文した。

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