たまに短歌 かわったこと わかったこと
いつまでもあるはずのない「いつも」あり
年に数度の故郷の空
いつまでも あるはずのない いつもあり
ねんにすうどの ふるさとのそら
今年は家人の実家に帰省中の元旦に地震に遭い、5月の連休中に地下鉄の駅で倒れて救急搬送されて入院し、夏に風呂釜が壊れて銭湯通いをし、盆の帰省先を台風が掠めて行った。宮崎では大きな地震があり、予て危惧されている南海トラフの危険性が現実味を増した。今や線状降水帯の発生に伴う水害は珍しいことではなくなり、毎年どこかで大きな被害が出ている。
家人の実家に帰省するのは基本的に盆と正月の年2回なので、顔を合わせる度に何がしかの変化を実感する。この夏は、私にとっては10回目の柏崎の夏だが、10年前の印象はあまり記憶に無い。そこからこれまで似たような光景を繰り返し、微妙な変化を重ねてきた所為であろう。しかし、昨年の夏と比べ、あるいは今年の正月と比べると気になる変化が出てきた。一言で言ってしまえば皆それぞれに加齢を重ねたということだ。
いつもそこにあると思っていたものは、いつまでもそこにはないのである。当たり前ではあるのだが、当たり前の当事者がその当たり前の現実に疎かったりするのもよくあることだ。人は自分に都合の良い現実だけを選りすぐって自分の「当たり前」を拵えるものだ。都合の良いことを選りすぐったついでに、せめて神頼みで平穏な日々を期待しようと、霊験あらたかとの評判の高い宝徳山稲荷大社を電車の中から拝んでおいた。
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