見出し画像

傲慢と善良

辻村深月さんの「傲慢と善良」を読んだ。
この作品は、友人の熱烈なおすすめぷりに気になって読んだのだが、私にとっても非常に考えさせられるものだった。

物語の中で描かれる人間関係や心理描写が、現実の私たちの生活にも通じるものが多く、深い共感を覚えたので今回はこの本の感想を書くとしよう。
(ネタバレあり🐻‍❄️)


主人公たちの内面と葛藤


主人公・西沢架は、いつも通り帰宅した自宅に、同棲中で家にいるはずの婚約者・坂庭真実がいないことに気付くところから、展開していくこの作品。

彼らを取り巻く人々の複雑な感情がかなりリアルに描かれている。
その中で書かれている「傲慢」と「善良」という相反する感情は、私たち誰もが日常で感じるものなのではないか。

この作品を通して、自分自身の内面を見つめ直す機会を得たように感じた。

作品で出てくる架と真実の「傲慢」と「善良」


作品の主人公である架と真実は、それぞれの「傲慢」と「善良さ」が物語の中で鮮やかに描かれていた。

西沢架の傲慢さは、自己中心的な態度や他人への優越感に現れる。彼は自分の価値観を他者に押し付け、他人の感情を軽視することが多い。彼の意見が最善であると信じ、それを他人に強要する場面が見られる。

一方で、架の善良さは後半明らかになっていき、内に秘めた優しさや正義感に表れる。
彼は真実を守りたいという思いを持ち、純粋な善意から他人を助けようとする。架の善良さは、鈍感力故にかもしれないが、他人を思いやる心や正しいことをしようとする姿勢に現れていたように感じた。

真実の傲慢さは、自分の人生に対する強い意思や目標を持たないことから生じている。
これは真美の幼少期からの家庭環境もあるかもしれないが、彼女は自分の欲望や目標を明確にせず、他人の価値観や判断に依存するため、自分の行動が他人にどう影響するかを深く考えない。

一方で、真実の善良さは内面的な優しさや他人を思いやる気持ちに現れる。
周りに合わせ、他人を思いやろうという姿勢を持っている。他人の立場に立って考え、周りの人々の気持ちを理解しようとする努力に表れているように感じた。

私自身の経験との重なり


読者の私自身も、ここ数年の荒波のような日常に疲弊しており、登場人物たちの人生や葛藤を自分自身と重ねて読み進めた。
そして、自分の価値観に忠実に生きることの重要性を感じた。
しかしその価値観が「社会」が生み出したことによる「そうでなければいけないんだ」という縛りなのか。
正直、考えても未だにわからないところはあるのが本音だ…。

社会の中での自分の在り方


また、物語の背景には現代社会の問題や価値観の変遷が描かれており、それも非常に興味深かった。

他人からの評価や社会的な成功に囚われることの危険性について考えさせられた。

人間は、しばしば他人の期待に応えようとし、自分の本当の気持ちや欲望を抑え込んでしまいがちだ。
たとえば、幼少期から親からの過干渉やエゴを成長の過程でも疑問に持たず、受け入れるのが当たり前になり、親の希望通りに育つとどうなるだろうか。

親や周囲からは「善良」に見えるかもしれない。

このような態度は一見して他人に配慮しているように見える。しかし、実際には自己主張を避けることで他人の価値観に依存し、自分の本当の気持ちや欲望を感じにくくなり抑え込んでしまうことにもつながる。

その結果、自分の行動が他人にどのような影響を与えるかを考えずに行動することが増え、無意識のうちに他人を傷つけることがある。

自分が今まで「善良」でやっている行動が、大人になるにつれて「傲慢」に繋がることもあるのだ。

この作品で言うと、真美がそうだ。

そんな私たちに「本当に大切なものは何か」を問いかけているようにも感じた。

結論


「傲慢と善良」は、単なる恋愛小説や人間ドラマを超えて、読者に多くのことを考えさせる力を持った作品だった。
辻村深月さんの巧みな筆致によって描かれるキャラクターたちの生き様や感情に触れ、自分自身の在り方や価値観を再考する良い機会になった。

この作品を通して得た気づきや感動を、多くの人と共有したいと思った。


くまみ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?