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僕は意識をほゆうしているけど、あなたは持っているのだろうか?#哲学未満1

意識とは何か?と考えた時、人間にしか意識はないのかという問いへと進んでいく。どうやら意識は意識自体を意識可能である何かであるらしい。私は考えたので、それが存在するようだ。

人間の身体がアミノ酸によって構成されている。他のアミノ酸で構成されている有機物に意識はないのだろうか。人間は何らかのインプットに対してアウトプットを出力するスイッチかもしれない。では、電気をオン・オフする際にそこに意識は宿らないと言い切れる根拠はどこにあるだろうか。

無機物は意識を持っている。このテーゼに対する得も言われぬ拒絶は何だろう。無機物に意識はないと主張したくなる。もしかすると、人間にしか意識はないと信じたいのかもしれない。

動物愛護や環境問題を考えるとき、保全する対象は人間と同種と言うべき有機物である。そこには大きく無機物と区別される何かが存在する。また、人間は動物と区別される。意識という基準によって、この2つは峻別される。人間は動物と同じだと主張する人でさえ、人間を鉄の延長で考える人はいない。


人間はなんらかの最終形態ではない。この主張は、人間の特権性を略奪する行為である。近代が必死に基礎づけてきた人間の特権性が今、崩壊しつつある。

人間は特別な存在ではないと主張する人でもなお、人間が特別な存在であると信じている。彼らは人間は意識を持っているが、スイッチには意識がないと続ける。僕らはスイッチにすら意識があると捉え直すことによってはじめて、人間と他有機物と無機物を同一地平線で語り始めることができる。本当に人間の特権性を排することができるのかという問いだけが残り続ける。



あなたの意識は僕の意識と別様かもしれない。けれどもあなたは意識を保有していないと言い切れるほど、僕らは意識を知っているのだろうか。僕らは等しく他者になりえないという意味で利己的であり続ける。どこまでも妄想することしかできない。あなたが意識を保有しているかすら、想像し、共感するんだ。だから、あなたに意識があることを信じてみる。

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