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セツルメント運動における医療職としての作業療法

医療職がセツルメント活動に関わった時に、医療的知識を「正しさ」として、「教える」という立場に立つことは少なくないと考えられる。 専門性が高いと、よりその傾向は強くなる印象がある。 セツルメント活動が医療領域よりも社会福祉領域で受け入れられ、継続しているのは、「教える」立場でなく、「いる」ことの大切さを提示しているとも考えられる。ある福祉領域でセツルメント活動をしている方は「私たちは見るスパンが長いしねー」と言っていた。時間的な側面もあるのかもしれない。 作業療法は医療・福祉

    • リゾーム的な存在でいたい

      目的とリゾームとツリー  リハビリテーションとは「期間」と「目的」があるものと定義されています。「目的」なくかかわる事はなく、また自分の一挙手一投足において、後付けでも理由をのべる訓練がされており、「doing」しない「being」である自分をみとめる事は中々難しい職種だと感じています。  私にできるのは、リゾーム的な存在でつながったり、切れたりしながら、いることなのかな?と考えています。ついツリー的な思考で「目標設定」し、そのために動くことが自動化されている面もありますが

      • 専門性に悶々とする日々 作業療法士②

        興望館の展示を見た日から専門性などを考える日々、「シラス」で東浩紀さんが「合唱などは一緒でいる事、連帯をつくる。言論は差異をつくるんだよ」と言っているのを聞きました。 「なるほどー」。私にはこの視点は全くなく、異なるレイヤーをのものを一つのものとしていた事も混乱のひとつだと気が付きました。「With People」で、作業をしたり、一緒にただいるだけでも成立する時間。専門性としてその作業などの意味性などを言語化する際には「差異」を生み出していることを意識的になると少し楽になる

        • 専門性に悶々とする日々 作業療法士①

          〈興望館 別館〉で開催された 「共に在るところから/With People, Not For People」に行ってきました。 https://co-coco.jp/news/fanfan_exhibition/ 興望館は1919年(大正8年)に「セツルメント」として東京の下町で事業をはじめた社会福祉法人です。その一画に碓井ゆいさんとファンファンメンバーのリサーチと碓井さんの作品が展示されていました。 セツルメントとは宗教家や学生が都市の貧困地区に自ら居住して宿泊所、託児

        セツルメント運動における医療職としての作業療法

          アートセンターで作業療法士ができる事 〜Aさんの物語

          社会福祉法人いぶき福祉会 社会福祉法人いぶきの北川さんのお誘いで「福祉×◯◯×移住 2020ワークショップ」で自分の考えていることを文章にする機会を得ました。 今までは方法論や論理などを文章化することが多かったのですが、物語を描くことでどんなことをしたいのがわかり、自分でもワクワクしてきました! #作業療法 #アートセンター #劇場

          アートセンターで作業療法士ができる事 〜Aさんの物語

          誰でもいられる場

          誰でもいられる場

          アートセンターで作業療法士ができること(私見)

          地域の病院、訪問リハビリテーション、障害児保育園などで子どもからお年寄りまで作業療法士として関わってきました。 利用者さん、ご家族と関わる中で、障がいがあっても、なくても、楽しいなぁ、美しいなぁと思える時(とき)が1日に一回でもあるといいなぁと思うんだけど、これが結構大変。 そこからモニョモニョ考え始め、誰でも居られる場、アートセンターがあればいいのでは?と現在は到達しています。ここでは、アートセンターにて作業療法士としてできるのでは?と考えていることを表していきます。

          アートセンターで作業療法士ができること(私見)