専門性に悶々とする日々 作業療法士①

〈興望館 別館〉で開催された
「共に在るところから/With People, Not For People」に行ってきました。
https://co-coco.jp/news/fanfan_exhibition/

興望館は1919年(大正8年)に「セツルメント」として東京の下町で事業をはじめた社会福祉法人です。その一画に碓井ゆいさんとファンファンメンバーのリサーチと碓井さんの作品が展示されていました。

セツルメントとは宗教家や学生が都市の貧困地区に自ら居住して宿泊所、託児所、教育、医療活動などの社会事業を行う活動です。

碓井さんの作品は興望館にある資料を読みこみ、ある一人女性の架空のAさんを立ち上げ、彼女が書いた日記という形で展示されています。読んでいると当時のセツルメント運動にかかわっていた人の心の動き、悩みなどが伝わってきました。

一緒に活動していた「山田さん」が社会事業の技術を学ぶために、興望館での仕事をやめるくだりがでてきます。Aさんが山田さんの選択を「ここでの文化活動を中心とした『万屋』の仕事ではなく、もっと科学的な手法を模索していることなのだろうか」という文書に地域活動の中での専門性をどう提供するか?考えていけばいいかと悶々としている私は過剰な感情移入をしていました。

医療職として「for people」の立ち位置が身に沁みつき、地域などでの活動でも自分の「作業療法士」としての存在意義を考えてしまい「Not For People」では苦しくなってくる。

一緒に作業をすることで「With People, Not For People」でいる事ができる。そんな時でも言語化したがる自分がいます。

数値化以外の評価法などを探し、自らの存在意義を表す方法を模索している自分がいます。

「山田さん」の気持ちも、の気持ちもわかり、どちらにも決められない自分がいる事に気が付く時間でした。

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