千里の道も一歩からと言いますが、その「一歩」が大事という話

高校の先生が、僕の忘れられない先生です。

第一印象は、とにかく「怖い」先生でした。

生徒が居眠りしていようものなら、その生徒の机をガツンと蹴り飛ばす、そんな先生です。


でも、僕が日体大に入ることができたのはこの先生のおかげだと思っています。

仙台に住んでいた僕にとって、日体大の受験は非常に難易度が高いものでした。

なぜなら、関東では体育大学のための予備校があり、そこに通えない時点ですでに差があると言えるからです。


当時の日体大の受験科目はバレーボール(バスケと選択制)、80m走(100mだったかも)、器械体操(ハンドスプリング等)と筆記試験だったと思うのですが、この中で最も苦手だったのがバレーボールでした。

しかし、その先生が特別にバレーボール部の練習に参加させてくれて、バレーボールは充分に準備することができたのです。(結果的に80m走が一番足を引っ張りました。笑)

僕の忘れられない先生は、怖く見えるけど実は優しいその先生です。


苦手だったバレーボールがいつの間にか得意になったことで、

コツコツと正しい練習をすることで、できないこともできるようになることがあるんだなぁ、と感じました。

今の僕の体育指導に通ずるものがあります。

千里の道も一歩から、ですがその一歩はよく選ぶ必要があるんでしょう。


そんな受験を乗り越えた今の僕は、ほぼ家にいる生活をしています。

なぜかというと、家族と一緒にいたいからです。

1歳と3歳の子どもと、妻と、なるべく一緒にいたいと思い、自宅でできる仕事を考え少しずつ形にしていきました。


コロナの影響もあり体育教室ができていませんから、尚更外には出なくなりました。

でも、収益は上がり続けているので、面白いものです。(元の収益が少なすぎたので、上がるのも容易と言えますが。笑)


思えば、この生活ができるようになったのも、「千里の道も一歩から」という言葉からです。


しかしながらやはり、この「一歩」はよく選ぶ必要はあるんだろうなぁ、と思っています。


大学に入ってからの僕は、継続こそが力に繋がるのだと勘違いして、なんでも始めたらとりあえず続けるという生活をしていました。


例えばブログ、

どんな文章でもいいからとりあえず続けよう・・・と、10文字にも満たない文章で1記事にしていたこともありました。

でもこれ、今思えば何にもなってないんです。笑

いや、この経験は役に立ったと言えますが、そのブログはもう見る影もありません。だって、誰が読むんだっていう話ですからね・・。

自分ですら振り返らないものは、意味がないと今の僕は思います。

毎日やっていても毎日ゴミを量産しているのと同じで、むしろその時間を違うことに活用できた方がよかったな、と今なら思います。


「とりあえず続ける」のではなく、「よく考えて続ける」方が良かったんです。

でもこの「よく考えて続けることができる」ことって、そんなに多くはないと思います。

僕の場合は「体育」と「音楽」しかありません。


けれど何か1つでも見つかれば、千里の道も歩き出せるのだろうなと思います。

僕も忘れられない先生になりたいものです。

そのためにも、一歩ずつ歩きます。

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