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プレイボールは父と友達になる魔法 〜inning⑦~ 【不定期】

父とはここまで
見て頂いている通り

野球、プロ野球を通じて
父でもあり友達でもある

の様な関係である。

しかプロ野球は
年がら年中
毎日ある訳では無く

オフシーズンや
移動日などは試合が
ありません。

今のように
キャンプ中継や
オフの特番みたいなものが
充実している訳でも無く

自身の学童野球も
当時の冬は試合はおろか
活動自体が今と違って
あまり無かったので

シーズン中の反動もあって
退屈な野球ライフでした。

今回は
そんな時のお話です

私が小学2年生ぐらいの頃か

日が沈む時間になっても
家族が誰も帰って来ず

本気で捨てられたと
思った日がありました。

外も真っ暗になり
不安が最高潮になった時

父と母と妹二人が
一緒に帰ってきた。

帰ってきた父は
私を見るなり

「これ!後でやるぞ!」

と、当時
社会現象をも
巻き起こしていた

「ファミリーコンピューター」
本体と「ベースボール」のソフト
を見せてきた。

しつこいぐらい
何度も言うが

黒葛野家は裕福では
無かったので

まさか我が家に
あの「ファミコン」さんが
来てくれるとは
夢にも思っておらず

捨てられた疑惑のことも
すっかりと忘れて
大はしゃぎをした覚えがある。

そのファミコンが
来た年からは

プロ野球が無い日は
よく父と野球ゲームを
した。

ベースボールに始まり
一番熱かったのが

ファミリースタジアム
いわゆる「ファミスタ」だ。

あのゲームは
操作性やゲームバランス
がゲームにそこまで
馴染みのない父にも
刺さっていたみたいで

お互いの対戦記録を
メモ帳に記録したりして
盛り上がっていました。

もちろん父は
タイガースを使うのだが

あの初代ファミスタが
発売された頃、
タイガース自体も
強かったので

ゲームの上達が早い
子供の私との対戦も

そのおかげで
お互いの強さや力量の
バランスも取れていた。

とはいえ

私が小学校高学年
ぐらいになった時には

流石に
私のゲームの腕が
上がっており

まともに対戦すると
勝敗が偏ってしまっていた。

そうなると
父の機嫌が悪くなって
いくので

途中から
接待プレイをしていた事も
思い出す。

これが結構難しく

あまりにも
露骨な接待プレイは

余計に父の機嫌を損ねる
恐れがあるので

接戦を演じながら
父に勝たせる展開に
マネジメントしていく
技術の方が身についていった。

あの時の経験は
社会人になり
本当に活きている。

経験や行動してきたことに
無駄なものは
一つもないのだと

オフシーズンの
父から学びました。

しかしあの夜は

何故あんなに帰ってくるのが
遅かったのか?

未だに謎のままです。













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