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昧爽

撮影現場へ行くため、友人の車に乗った。
朝日がまだ出る前の、ロサンゼルス高速であった。


私は大学時代、まかり間違えて本学から離れて映画を作る人を夢見た。ただ、紆余曲折があって、とりあえず大学を卒業する事とした。
卒業の年、まだ自分の進路を決めきれてなかった。ただ、自分が面白いと思ったことはしてみようと思ってたところもあり、以下のFBを見つけて応募をしてみた。

「映画のスタッフ募集!ロサンゼルスで撮影」

自主製作映画なのだが、ロサンゼルス!?と思った。あっちの映画のカレッジで卒業制作するということで、人員募集をしてみたのであろう。多分カリフォルニアにいる日本人向けのメッセージだったと思うのだが、まさかの帯広にいる私が応募した。先方も快く受けてくれて、何通かのメッセージのやりとりで日時を決めて
私は自身初の海外へと飛び立った。

空に上がって緊張以外に何もない。英語は話せないし、やり取りしただけの知らない人のところへ、しかも自主映画の手伝いで行くわけだから。出入国カードも書き方も知らずに飛び乗った。我ながら、よく行ったなと思う。

さて、空港に着いたら、ウェルカムボードを持ってくれた若い人が居た。日本人である。曰く、今回のプロジェクトには沢山の日本人が参加してるとのこと。カリフォルニアにいる日本人学生達がボランティアで参加するらしい。
私はメールのやり取りをした主催者に合わずにそのままロケ現場に行くことになった。美術の背景がまだ出来てないらしく、撮影本番日まで、私はそれを主に手伝うことになった。近未来ゲームとして、缶蹴りをする脚本であったので、高架下にある大きな広場をつかってそのゲームの舞台にしていくわけだ。
美術の女性があちこちに指示を飛ばしてた。「ここはもっと、壊れた感じを出そう。」「ほら、レンガを積み上げ誰か手伝って」「あーここ、なんか書こう」彼女は大学を卒業していて、こっちで仕事をしながらの手伝いらしく、かなり本格的であった。手にはいくつかのイメージボードを持っていたし、私たちは指示通りにあせくせと働いた。日本人が多くて英語が少なくて助かった。ただ、手伝ってる人たちは賑やかで楽しそうで、親しみやすかった。
そうして、夕方に監督であり、私をここへ連れてきた(いや、勝手にきたわけだが)、主催者が来た。アレコレと監督として指示を出しながら、私と挨拶をした。
「ヒロシー、ウェルカム。本当に来たんだねー、凄いねー」
そらそうだ笑。普通来ないだろう。彼は色々と概要や主要スタッフを紹介してくれた。明日の夕方にはDP(撮影監督)が来て、撮影ポジションの確認をしていくらしい。撮影監督は本場ハリウッドのプロを呼んだそうだ。ほんと、学生なのにやる事が大きい。

2、3日撮影準備に邁進して、撮影本番の日である。
朝の現場の入り時間は6時になっていた。高速を飛ばして、我々は現場に向かった。
朝焼けのカリフォルニアの空は藍色と橙色の綺麗なグラデーションであった。
車内には、日本で流行っていたアジカンのリライトが流れていた。
監督の彼と助監督の人と私の3人は声に出して唄っていた。
この後の撮影がうまくいくようにと

いや、そういうのではないな、、、

私たちは若くて元気で、それで
力を出し切りたかったのだ。


車は一路現場へ向かう。
私たちも、
私も、走って向かっていたんだ。
どうなるか、分からないけど、
目的に向かって走ってみたんだ。



#エッセイ#随筆
#旅する日本語
#昧爽
(まいそう)・・・夜明け方。あかつき

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