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ウイルスが存在しない?の話

『ウイルスは存在しない』という話が一部に蔓延しています。
結論から言えば、そんなことはありません、となります。
ですが、この説にもいくつか悪くない指摘はされていて、確かにウイルスを病気の原因とするにはおかしな話がたくさんあります。
ところが、それ以上にオカシイのが『ウイルスは存在しない』という主張の方なのです。
あるかないかというゼロか1かの理屈にとらわれているから、『ない説』に傾倒してしまっているように思います。


そもそも論

『ない事の証明はできない』というのは論理的に明確です。
よく『悪魔の証明』という言い方をされますが、何事も『ない』と言い切ることは出来ません。「まぁないよね」ぐらいは言ってもいいですが。
ですから、『ウイルスは存在しない』と言い切ることは不可能ですから、こうした論説そのものがオカシイのです。

この『悪魔の証明』に関しては、科学や論理学の世界の言葉かと思いきや、法律用語にもなっているようです。法律もまた論理を重んじますから、当然なのかもしれませんね。

でもまぁ、本の題名にも『ウイルスは存在しない』となってますし、そう信じてやまない人もいますし、中には高額セミナー何かを開いて金儲けしようという人達まで出てきてしまいましたので、一つ一つ紐解いていくことにしましょう。
生物学に関して専門的なことは極力書かないようにします。

病原体仮説と環境仮説

病気は病原体によって起こされるとするのが『病原体仮説』
病気は体内と外部の環境によって起こされるとするのが『環境仮説』です。

病原体というのは、細菌、ウイルスに加えて寄生虫なども含まれます。
『ウイルスはいない』とする論者にも、この病原体をごちゃまぜにしている人が散見されます。
後述しますが、この記事の表紙に使った崎谷博征著『VIRUS DOES NOT EXIST ウイルスは存在しない!』では『病原体仮説』を否定していますが、細菌や寄生虫に関する言及はほぼありません。

「病原体仮説の提唱者パスツール自身が、自分が唱えた『細菌説は誤り』であったことを認めている」という事から、環境仮説が正しいという論調の人も多いですが、誰が何を言おうが事実そのものは変わらないという事を確認しておいた方がいいです。

影響力という意味では発見者や第一人者の発言は大事ですが、真実とは関係ありません。

存在証明の話

『コロナは存在しない』という話が出始めたあたりから、「存在証明がされていない」という事を言う人が増えました。

論外事項として、各自治体や中央官庁に存在証明の文書の開示請求で『文書をもっていないので』という理由で、開示が得られなかったというのは細かい説明抜きにします。
行政は文書の保管庫ではありません。
持ってないから出せないと言ってるだけの話です。

『ないから出せない』と『存在していない』というのは意味が異なります。

存在証明が必要?

さて『存在証明がない』からといって『存在していない』とはなりません。

有名な例だと航空機が飛ぶ理由で揚力というものがあります。揚力は証明されていない物理量の一つですが、風洞実験の結果や近似式から翼形状は設計されて、飛行機は飛んでいます。
だれも揚力は証明されていないから飛行機は存在しないとは主張しません。
概念としての揚力は証明されていませんが、非科学とか似非科学とも言われないのは、近似式などの概念で補完されていることと、何より航空機が飛ぶという事で、それらの概念が(だいたい)正しい事を証明しているし、再現性があるからなんですね。
再現性もまた科学手法として使われます。

ウイルスや細菌というのが存在証明ができていないとしても『病原体仮説』による概念は存在しています。そして、それが原因で怪我が化膿したり病気の原因となったりと考える事にしているのです。

で、抗生物質という薬もある訳です。
抗生物質は細菌類の細胞膜の形成を妨げる薬です。これを飲むと細菌が細胞膜を作れなくなるので死滅してしますので、最近が起こす化膿や病気の症状がなくなります(ただし善玉菌なども死滅するのでいい事ばかりではないです)。
つまり、抗生物質が効いているという事は、再現性があり科学的に正しいという事も言える事になります。病原体仮説の証明になっているのですね。(←飛行機が飛んだという事です)

こうした事から、存在証明という事は必ずしも科学に必要なことでもなく『再現性がある』という科学手法によって科学技術は発展してきてるともいえる事がわかるのではないでしょうか。
大げさに言えば『世界は存在証明がされていないことだらけ』で成り立っている訳です。だからウイルスにだけ存在証明を執拗に求め、厳密に証明されないからと『ない』と主張することはお門違いなのです。

コッホの原則

ウイルスの存在証明の話が発展すると、確実と言っていいほどコッホの原則の話になります。
コッホの原則とは、

  1. ある一定の病気には一定の微生物が見出されること

  2. その微生物を分離できること

  3. 分離した微生物を感受性のある動物に感染させて同じ病気を起こせること

  4. そしてその病巣部から同じ微生物が分離されること

の4点からなり、「コッホの4原則」とも呼ばれていますが、ウイルス学者たちは厳密にはこの原則を使っていないようです。
使わない理由は、寄生虫や細菌では成り立つ原則でもウイルスのような生物と非生物の間のような存在では成り立たない事もあるし、その時の技術力の限界のために立証とは言えないレベルになっていることもあります。

ともあれ、どの程度の何をしているのかは、一般に情報が出てくるわけではないですので、論文から推測するか、研究者でないとわからない領域です。

分離(単離=isolation)のこと

しばしば『ない説』の人達が根拠として挙げるのが、ウイルスの単離がされていないという事です。コッホの原則の2番目にも該当します。
ウイルスは確かに厳密に単離はされていないようですが、これは京都大学の宮沢准教授の説明で十分ではないかと思います。

宮沢准教授いわく、

「ウイルスの分離は厳密にはできていない」

「登録されている(塩基)配列がこの世に存在するかというと、ない」

「でも、それは実験的な手技限界によってそうなっている」

「元のウイルスとその他の混じった塩基配列を短く断片化して、塩基配列のうち一番可能性が高い塩基配列をつなぎ合わせて一つのウイルスとしている」

「例えば日本人の顔の平均をとる。この平均で合成された顔は存在はしてないが日本人の顔ではあるといえる」

「こうして最大公約数をつなぎ合わせ、ウイルスを合成すると、元のウイルスの振る舞いをする」

これをもって、存在しているそうです。
単離の段階では精度は高めなくても、のちのち補完されるという事ですね。

要するに各段階での精度の問題という事でしょう。
ところで、世界の大半の事は分離、単離って出来ていない事はご存知でしょうか?

例えば『鉄』ってあるでしょ?
でも、自動車や建築やら日常目にする鉄って、純粋な鉄ではないし、純粋でないからと言って「鉄は存在しない」とは言わないですよね?

研究室で使うような材料として『ほぼ純粋な鉄』というのもあります。
99.99%の純度の鉄をフォーナインFe
99.999%の純度はファイブナインFeと言って、とても高価なものです。
1g=1万円を超える金よりも高い値段で取引されています。
でも、たとえファイブナインでも0.001%は不純物が含まれるんですね。
単離できていません。
『鉄は存在していない』ですか?

ちなみにですが、99.999%の鉄になると、一般的な大気の中では錆びないのだそうです。いつでもピカピカとしているという事です。
もう別の物質と言ってもいいのかも知れません。

ウイルスはどうでしょう?
どの程度の精度で単離と呼んでいるのかはわかりませんし、単離のプロセスでオカシナ事はあったとしても、合成したウイルスが元の挙動を示す方が何かの役に立つのではないかと思います。

崎谷博征著『VIRUS DOES NOT EXIST ウイルスは存在しない!』について

いよいよ『ウイルスはいない説』のバイブルとなっている本の話に移ることにします。この本はとても面白くて、発売されてすぐ(2021年3月)に購入して読んだ覚えがあります。ただし読んだのは上巻だけです。

パスツールやコッホなど、病原体仮説を支持した人達の実験手法のでたらめさや数々のインチキが詳細に綴ってあり、読み物としてはとてもよくできています。でも実は、崎谷医師の自説を根拠づけることは出来ていません。

崎谷医師の主張とその間違い

本書のなかで崎谷医師はいろいろと病原体仮説の嘘と、それに基づいた医療措置のインチキの指摘をしています。これそのものはなかなか調べられるものではなく、とても興味深いもので貴重な書籍だと言えます。
でも、崎谷医師の主張は全体としてはいくつか矛盾をはらんでいます。
主だった主張は、

・ウイルスは存在しない(人間に害を及ぼすものはない)

・人工ウイルスは存在する

・環境仮説は正しくて病原体仮説は間違い

・ウイルスだとされている物はエクソソーム(細胞外小胞)だ

・電子顕微鏡には本質的な問題がある

他にもあるのですが、こんな感じです。
これだけでも論旨が通らないところがでてきます。
一つ一つの文章は本当に面白いし、知的好奇心をくすぐってくるのですが、全体としては成り立ってない話です。

人工は害で自然は無害?

崎谷医師は新型コロナウイルスを人工ウイルスだとしています。
つまり人体に悪影響のあるウイルスだという事ですが、これだと自然のウイルスは病原性がないという自説との境目は、自然か人工かの違いだけです。

自然界にも多くの毒草や毒虫や寄生虫がいますが、ウイルスだけ無害であるという事の方が考えにくいですね。何を根拠にしているのかという事は書かれていません。

そして、今まで発見されているあらゆるウイルスが無害であることを証明できたとしても、新たに発見されたり変異によって登場するウイルスがあるので、自然のウイルスは無害という主張はできません。

突き詰めていけば、完全に人工的に作られたというものは存在しません。どんなものでも自然の中の材料から作られています。生成度合いがすすむと、変化や分解されにくくなるものがありますが、時間がかかったり条件が整いにくくなるというだけで、分解されていきます。

ウイルスの正体はエクソソームだ?

崎谷医師がエクソソームだと言ってるものが、実はウイルスだという事なのですが起こる現象は変わりません。細胞から細胞へ伝搬していって、炎症反応など感染症の症状を出すという事なのですが、これだと呼び方が変わっただけで、ウイルスはあることになってしまいます。

そして、ウイルスと呼んでるのはエクソソーム(細胞外小胞)だとしていますが、どうやって確かめたのでしょうか?「電子顕微鏡は自分の探したいものが何でも見つかるオモチャ」と揶揄されていたことも紹介しているぐらいなのですが、エクソソームもまた電子顕微鏡でないと見る事ができないサイズのはずです。崎谷医師がエクソソームだと思いたいから、ウイルスをエクソソームだと見間違えている可能性だってある訳です。
ブーメランになってしまいますね。

ウイルスの存在を否定しても病原体仮説の否定にならない

本の中では細菌類に関する記述はほとんどありません。(下巻にはあるかもしれません。)
細菌類だと容易に病原体となることが明らかだからではないでしょうか?

身近なところだと毒キノコの存在が挙げられます。

注意しなくてはいけないのは、細菌による感染症でもインチキはいくらでもあって、この本の良いところはそうした事も指摘していることにあります。でも、細菌にせよ病原性を示せば病原体になるのであれば、病原体仮説は否定できなくなります。

細菌類よりもわかりやすいのが寄生虫ですね。卵や幼生期には電子顕微鏡でないと見る事ができないサイズでも、大きくなるとそうでもないですし、何よりウイルスと異なって自分で繁殖していきますから。
日本住血吸虫というのがいて、ほぼ撲滅に成功しています。この寄生虫に関してはWikipediaに素晴らしい記事が載っていますので、ぜひご一読しておいてもらいたいです。

ここには、山梨県での人類と寄生虫との100年以上の闘いが記されていて、世代を超えた感染対策の歴史を見る事ができます。
現代では撲滅というか、共存できるようになったのですが、やっていた対策はワクチンではありません(笑)。それどころか、特効薬もなしです。

病原体仮説は肯定しても、その対策の間違いを指摘することは出来ると思います。ウイルスの存在を肯定してもまた、ワクチンを否定することも出来るのです。

まとめ

病原体仮説を肯定するわかりやすい例として挙げられるのは、ボツリヌス菌ではないかと思います。ボツリヌス菌はボツリヌス毒を出し、これによって筋肉の麻痺が起こされます。
美容整形でもボトックス注射として利用されています。顔の表情筋を麻痺させることで、しわが出来なくなるそうです。
病原体仮説(ボツリヌス菌が毒)から、表情筋を麻痺させることができるのではないかと推測され、実際に注射すると麻痺する。仮説が実証されたのですから、病原体仮説が正しいという根拠になると言えます。

『ウイルスは存在しない』説の人達が見落としているのは、人工的に塩基配列を変えて、人工的にウイルスを作ることが出来るというところではないかと思います。たとえ精度は高くないにせよ、人工的に再構築された塩基配列を持つウイルスが、元のウイルスから出される挙動と同じであれば、「これであってたんだ」という根拠になるのです。

ウイルスの場合には、コッホの原則や病原体仮説から証明しにくいという性質があるそうです。これは前出の宮沢准教授が何かのセミナーで話をしていました。

「ウイルスは細胞によっては入り込めないし、入り込んでも細胞によって全く異なる挙動になることがある。」

という事です。
新コロ初期に『ACE2受容体にくっついて感染する』という話が広く伝わっていました。金城クリニックの金城医師が臨床からもこの話をブログに書いていましたね。つまりACE2受容体が多い『下気道感染』を起こしやすいのと、若い女性や子供は感染しにくいという話だったはずです。
これが『ウイルスが入り込める細胞、入り込めない細胞』という意味なのだと思います。

そして、『若い人や子供は重症化しない』というのもありましたし、実際にそうでした。風邪症状が重症化というよりは、持病が悪化だったようにもみえましたね。

つまり、現代のウイルス学というのは病原体仮説と環境仮説の中間の所に位置しています。ウイルスが原因だけれども、体内(または体外)環境によっては発症しないし、重症化もしないというという事なのでしょう。
もっとも、ウイルス学者数名と話をしたところだと、この二つの説の事は知っていても気にもしていないという印象でしたが。

番外編

新コロの存在証明に賞金がかけられた?

コロナウイルスの存在証明をしたら100万€(?)だったかの賞金がかけられていて、これに申請した人がいないから『コロナは存在しない』という主張もあります。これは申請してもドイツでは賞金はもらえません。

実はドイツでは似たようなケースで判例が出ていて、存在証明をいくら出してもお金は払わなくてもいい事になっています。
そして同じような裁判となると『コロナは存在しない』という話の脚色に使われる恐れがあるんですね。

ドイツの司法判断

どんな裁判だったかというと、2011年にステファン・ランカ氏が「はしかのウイルスが存在することを証明した者に、10万ユーロの賞金を与える」と宣言し、論文を示して賞金を求めたドクターに対し「証明になっていない」と拒否したために裁判となりました。最終的に2016年ドイツ最高裁でステファン・ランカが勝訴することになります。
これだけだと、予備知識がない人は「ウイルスはないんだ!」と思い込むかもしれませんが、実際はまったく違います。

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