国立大学卒業後、お笑い養成所に入って、芸人になったけど挫折した話 その2〜きっかけ〜
就職活動
大学3年。6月。
僕は自身の就職先について考え始めた。就職するならやりがいのある仕事に就きたいと思った。真っ当な理由である。
しかし、何にやりがいを感じるのか、会社や組織に属してその中でやりがいを見出すことができるのか、いっこうに答えはでなかった。
そもそも、組織に属すということが性に合っていなかった。その時も、自身が所属しているサークルで問題を起こし、僕の心は疎外感で満たされていた。
サークル活動
問題を起こした経緯を述べよう。
僕の属していたサークルは3年生が主な役職を務めなければならなかった。通常であれば、やりたい人がその役職をすればよいのだが、僕の学年は人数が少なかった。だから、僕はある役を割り当てられた。
しかし、僕はそれをやりたくないと言った。僕以外にやる人間がいなかったのにである。
なぜ断ったかというと、僕はその役職を十分に果たせるとは思わなかったからだ。その役職をするためのスキルが全くなかったし、何よりもそのスキルを向上させるためにサークルに時間を使いたくなかった。
だが、皆は簡単には認めてくれなかった。僕をその役職に就かせるために何回もミーティングが行われた。
毎回説得される。毎回僕は断る。これの繰り返しである。そしてある時僕は言い放った。
「皆にいくら嫌われても、僕はその役職をやろうとは思わない」
そして、ある女子にこう言い返された。
「周りにこんなに迷惑を掛けておいて、そんなことを言うなんて、人としてどうかと思う。そんな人に役職を任せたいとも思わない」
こうして、僕は疎外感の渦中へと放り込まれたのであった。
”人としてどうかと思う”、皆さんは面と向かってこの言葉を掛けられたことがあるだろうか。ほとんどの人はないと思う。
こんな言葉を掛けられたら、それはもうひとたまりもない。10年以上前の出来事であるが、今もまだそのシーンをまざまざと脳内で再生できる程だ。
最悪のコンディション
僕の学科は農業土木が専攻だったので、周りは地方公共団体だったり、土木コンサルタントだったり、農機具メーカーだったりと就職先を考えていた。
僕は、周りの同級生の動きを見つつ、最悪のコンディションで就職先を考えていた。
そしてある時、思いついた。
「そうだ、お笑い芸人になろう!」
突拍子もない思いつきであった。なぜそんなことを思いついたのか、今でもわからない。
たぶん頭がおかしくなっていたのだと思う。なぜなら、その頃は朝4時に起きて自転車で知らないところを2時間以上走り回るなど、普段全くしない奇行を繰り返していたからだ。
お笑い芸人に、オレはなる!
しかし、こうも思っていた。
「お笑い芸人で有名になって、僕をバカにした奴らを見返してやろう」とも。
有名になったからといって、皆を見返すことができる訳ではない。そのくらい今の僕であれば簡単にわかる。
だが、その時の僕には、それが社会に出るための大きな動機になったのである。
お笑い芸人であれば、組織に属さず自由に活動できるし、皆を見返すというやりがいもある。
それができる仕事を探せば、お笑い以外で絶対にあったはずだ。だが、その時の僕にはお笑い芸人になる以外に、社会に出る方法を見つけ出すことはできなかった。
こうして僕はお笑い芸人になるためへの一歩を踏み出したのであった。
次へ続く
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