ある人にとってのゴミは別の人にとっての宝物
ツイッターでもつぶいたのだが、祖父母の家を売ることなった。
今はある程度売れるものは売って、残った物は業者さんに片付けをお願いして綺麗にして貰うそうだ。
祖父は私が大学生の頃に亡くなって、祖母も私の実家の方に移ったので今は誰も住んでいなかった。
もうすぐ取り壊されてしまうそうなので、昨日は最後に祖父母の家に行ってきた。
小さい頃はよく遊びに行っていたのだが、誰も住まなくなってからは、付近の道を通ることすらなかった。
父の車に乗り、祖父母の家まで窓からの景色を眺めていたが、久しぶりに通る道は見え方がまるで変わっていた。
あのとき祖母と歩いた大きな道、祖父の自転車の後ろに乗って走った道、犬の散歩をした田んぼの道も全てが小さく感じ、自分が大人になって時が進んでいることを感じた。
錆びた門を開けて車を停める。
玄関の扉もキーキーと音を立て、開きが悪かった。
家の中はまだ片付け途中なので、足の踏み場もなかったりもするのだが…やはりあの頃のままだった。
いつものにおいを肺いっぱいに吸い込む。
ここに犬が寝てた。
ここにあったソファーに座ってテレビを見た。
雨の日はこの窓から、リズムよく垂れる雫をずっと外を眺めていた。
昔ながらのでこぼこした窓も愛おしく、そのすべてが懐かしい。
もうソファーもテレビもない荒れ果てた家を見ながら、当時の記憶をそのまま呼び起こしていた。
黒電話の下には金庫があって、祖父はいつもそこからお金を出していた。
私にくれたおこづかいや、出前のおじさんに渡すお金…。
平べったい形の今の時代にはない、古いタイプの金庫だった。
その金庫がいつもの場所にないな…と思っていたら、ほこりをかぶって床に置いてあった。
金庫を見ながら私は思い出していた。
――おじいちゃん、おばあちゃんの家に行く
これは幼い頃の私にとっては一大イベントで、別に泊まりで行くわけでもないのにリュックいっぱいに荷物を詰めた。
荷物と言ってもおもちゃや本などの遊び道具だ。
年寄りの家なので、退屈しないように色々持っていこうとすると、リュックはすぐにパンパンになる。
朝、父に送り届けてもらい、おもちゃで遊んだり、犬と遊んだり、絵を描けば、どんどん時間が経つ。
祖父は時計の針が12時に近づくのを見つめながら
「ぉい、出前とるぞ」と言って、もう今では珍しい黒電話でラーメン屋さんへ電話をしてくれた。
しばらくすると家の前にバイクが停まり、犬が遠吠えをして出前のおじさんが来たことを教えてくれる。
出前のおじさんは少し汚いヘルメットをかぶって、肩には大きな入れ物を担いでやってくる。
祖父は
「今日は孫が来たもんでねぇ。」
と、にこにこしながら話していた。
その時あの金庫からお金を出していたのだ。
届いたラーメンはこぼれないように2重にラップがしてあって、蒸気のおかげで張り裂けんばかりに盛り上がっている。
その盛り上がりをぷにぷにと触るのが至福の時なのだ。
ちょっと濃い、しょっぱい醤油スープにチャーシューとメンマ、なると、緑の細かい刻みネギ…スープには油が浮いていてぎらつく。
ちぢれた麺が麺をすすると少ししょっぱいスープともわっとしたネギの味がいっぱいに広がる。
世代が変わり、このラーメンは昔とは少し味が変わってしまったが、あの味を今でも覚えている。
出前だからか、早く食べないと本当にすぐに麺がのびてしまう。
食べてる間にも麺がどんどん増えていく。
多すぎて食べれないこともしばしばだった。
けれど、祖父は「量が増えていい」といいゆっくり食べていた。
結局食べきれなくて残してたけど。そうやってラーメンを食べながら、祖父と一緒に見るテレビはいつも【お宝鑑定団】だった。
祖父自身いわゆるコレクターというやつで、昔の物が好きな人だった。
昔の時計やカメラ、おもちゃ…と色々なお宝を集めていて、生前は雑誌や新聞にたまに出ていた。
お宝鑑定団にも出たことがあって、北原照久さんにおもちゃを譲ったことがある。
そんな祖父は私の自慢だった。
鑑定団を見ながらいつも「これはいくらか?」当てっこをする。
鑑定額が自分の予想とぴたりとあたると皆、ほれみぃ!と得意顔をする。
「ラーメンを食べながら鑑定団。」
これがいつもの日曜日。
私の大好きな日曜日だった。
金庫を見ながらあの時の様子が鮮明に思い出された。
ラーメンを食べ終わった後は、決まって博物館のように並べられた祖父のコレクション室に連れていかれ、当時の歴史やお宝についてのお話を聞きにいく。
私が高校生か大学生くらいの時になると、庭にプレハブ倉庫?のような物を置いて、その中にお宝を飾るようになった。
それは祖父の博物館だった。
当時の祖父は70後半~80歳だっただろうか?
お宝を飾ったり、磨いたり、解説を書いたりしていた。
そんな祖父はとても楽しそうだった。
特に祖父が大切にしていたのは、幕府がかかげたという木の看板だった。
そこには「幕府に逆らうと罰せられますよ。」ということが書いてあるらしい。
祖父がどうしてこんなに色々コレクションしているのか?
それには想いがあった。
「歴史というのは忘れ去られてしまう。それはとても寂しく思う。
でもこうして現物が残っていれば、あんな時代もあったと思い出すことができる。他の人から見ればゴミ。だけど私にとっては宝。」
そう言っていた祖父はいつも物で歴史を伝えていた。
しかし、祖父も亡くなってこの家を売ることになってしまった今、お宝は寄贈したり売ったり、捨てられてしまっていた。
庭にあったあの立派な倉庫は跡形もなくなくなっていて、草が生えていてた。
家の中にあったお宝はすべて無くなってしまっていた。
空しいとはこういうとなのだろうか?
生涯をかけて集めていたものが一瞬で無くなってしまった。
無念…というか空しさや儚さと言った方がいい。
とにかく空っぽだった。
人の人生は、なんてあっけないものなんだと思った。
家にはお金にならない生活に使うようなものはまだ色々残っていた。
それが、祖父が絵を描くときに使っていた色鉛筆だったり、黒電話だったり、金庫だった。
そういう生活の跡も他の人からしたらゴミかもしれないが、私にとってはいつもの風景の一部だった。
残された物をぼうっと眺めながら、ここには確かに祖父が居たのだと思った。
祖父だけじゃない。祖母も母も…みんなここに確かに暮らしていたのだと。
この家にはこの物の数だけの思い出が、歴史があったのだと感じた。
そう思ったらなんとも言えない気持ちが込み上げてきて、古めかしい木の壁を思わず撫でた。
柱にあるのはマジックで引かれた身長の線。
ここに遊びに来るのが楽しみで仕方なかった、あの頃の私の線はとても低いところに引いてあった。
どんなに大切にしていても、人はいつかは死んでしまうし、この世に残り続ける物なんてない。
わかってはいたのにどうしてこんなに悲しいものか。
別に人が死んだわけではない。家が無くなるだけなのだ。
なのにどうしてこんなに涙が出るのか。
祖父が言ったとおり。
他の人からしたら興味がないゴミが私にとっての宝だったのだ。
【物より思い出】なんて言葉もあるが、物を通じてたくさんの思い出があったことに気付いた。
なんの変哲も無い机は、みんなでごはんを食べた机だ。
なんの変哲もないソファーは、みんなでお喋りしたソファーだ。
だからなんの変哲も無い金庫を見ても、私は祖父を思い出す。
なんの変哲もないラーメンが世界で1番美味しいのだ。
物より思い出…というより、物と一緒に思い出というのはできていたのだ。
それが無くなってしまうのは理屈抜きに寂しい。
物が多いのは残された方は困るものだろうが…今はなんとなく、取っておきたいという気持ちがわかった気がする。
先日ツイッターで「集めた物ではなく、与えた物だけが残り続ける」というものが回ってきた。
確かにそうかもしれないが、今の私はなんだかそんな言葉では片付けられなかった。
昔、私の代まではコレクションをとって置いて欲しい。と祖父がボソッとつぶやいたことがあるので、きっと祖父自身も残らない事がわかっていたのだろうなと思う。
例えこの世に残り続けるものなんて無いのだとしても、ときめかないものでも、大切に思った物や懐かしい思い出は取っておきたい。
なんでもない生活の一部ほど本当に、本当に大事なのだと感じた。
家も無くなる、ラーメンの味も変わる。
どうせ人は死ぬけども、そんな人の世に諦めるのではなく、今目の前に精一杯生きたい。
自分の大切なものを大切にしてそうして命を燃やしたい。
そう思えた。
今更だけど、もっと祖父に色んな話を聞いておけば良かったと思う。
今になってもっと色々話したいと思う。
歴史のことも教えて欲しい。
さび付いた家の玄関のカギを閉め、車内から眺めるその風景は、いつも見えなくなるまで祖父母がお見送りしてくれたあの風景だった。
もう2度と戻らない風景。
私は最後の1秒まで瞬きをせずに焼き付けた。
せめて私はこの家の事、思い出と供にずっと忘れない。
執筆のおやつにヤングドーナツをたべます🍩🍩🍩