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Vol.11 Ryusei Maeda|精巣上体尾部博士

①どのような研究をしていますか? 

医学領域の生殖工学分野で研究をしています。所属する研究機関では、精子や卵子の凍結保存技術、体外で受精卵や胚を作製する体外受精技術などの技術開発研究が行われています。また、生殖細胞や組織などから、不妊の原因を解明する基礎的な研究も行います。その中で私は、受精可能な精子に成長するまでのメカニズムを、代謝物質の変化やエネルギー変化のアプローチから研究しています。

哺乳類の多くは、精巣で精子に分化しますが、この時は十分な受精能力を持ちません。精巣上体を通る中で、成熟して受精可能な能力を得ていきます。この精巣上体は、単なる成熟を促すだけでなく、尾部という箇所では射精前に活性を抑制させた休眠貯蔵などを行います。

この特性を生かし、長期間でマウス精子の保存が可能な低温保存輸送技術などが開発されました。しかし、精巣上体尾部の働きの詳細は、未解明が多いです。この働きのメカニズムを精巣上体尾部と精子の両面からアプローチ解明することで、不妊機構の解明、精子の体内成熟&体外培養、生殖医療技術の開発などに必要な知見を残していけると考えています。具体的には、”メタボミクス”という生命情報解析手法を主に用いて、実験条件中の精子や精巣上体の代謝物質の変化を網羅的追跡しています。その解析データを参考に仮説の候補を作成し、実際に自分の手で現象を捉えていく研究をしています。私自身は、「辞書の一ページを自分で作る面白さ」に惹かれて、研究を続けています!

フランス・パスツール研究所に留学した時のラボメンバーとの写真.2023
胚を卵管に入れている実験中の風景.2022

②どんな人生を経て、熊本大学に? 

昔は、1人でレゴブロックを積み上げたり、偉人や宇宙の本などを読みました。レゴで大きい家を作った後、その部品だけで船に作り変え、浴槽に浮かべて沈んだことは良い思い出です(浮力や圧力の概念がなかったので…)。中学・高校は部活三昧でした。不器用で、自己中で、負けず嫌いな性格で、荒れた時期もあり、友人や先生方に沢山の迷惑をかけた学生時代でした(当時はあまり自覚が無かった)。迷惑をかけた分か、色々な先生たちと仲良かったのもあります。模試でE判定しか出たことのない大学学部に偶然合格した時は、職員室が沸いたそうです(笑)。見放さなかった先生や友人には本当に感謝しています(もはや、自由に受験させてもらったことに感謝)。

入学後は、周囲が急激に大人になる環境に、子供のような性格の自分は耐えられず、授業をサボり、自転車で日本縦断するなど、国内外を一人で放浪していました。4年生になっても迷い続け、自分に纏わり続ける「○○を得たり、○○に所属しているから、この道に進まなきゃ」のような偏見のラベルを捨てたく、休学してオーストラリアでワーキングホリデーをしました。自分のことを誰も知らない世界は新鮮でした。「雇ってくれ!」と飛び込み営業で30件断られたり(3回粘ったら採用されたw)、国に帰れない事情を持つ移民や出稼ぎの人と同僚として働いたり、多国籍のシェアハウスで毎日10人分のごはんを作ってシェフになったり、車を買って大陸の砂漠を横断したり、お金が無くなってビーチで生活したり、ネタには困らない充実した6か月でした。「自分の人生を自身で創り、彩り、本気で駆け抜けた」と初めて思える時間で、人生の分岐点です。ここで、サイエンスの話が全く通じなかった(もはや魔法陣の世界線で住む人が同僚だったり)経験から、「科学がもっとわかりやすく伝わったら、世界は良い方向に変わるかも」と感じ、卒業論文をサイエンスアニメーションで提出しました(薬学部の卒論史上初かも…)。復学して半年間、一からYoutubeでソフトの使い方を学び、毎日慣れないパソコンに向き合い、納得できるアニメーションを完成させたのは一生の思い出です。「自分の想いや課題感をプロダクトで表現し、届けたい人に届けてみる」の経験は、人生で大きく礎になりました。大学院進学後は、個人事業としてアニメーション製作や科学実験教室の事業を開始しました。その過程で、多様な分野の研究者の皆様と出会い、研究の楽しさを教えていただき、入学してから6年目でやっと研究に向き合いはじめ、自身が研究を通して取り組みたいテーマを見つけました。沢山、遠回りをしました。
 
研究はラボで導入されていないインフォマス解析を0からチャレンジさせていただき、ラボを超えて様々な方々に協力いただきながら修論を書き上げました。博士進学後は、新規性の高い共同研究への立ち上げ、パスツール研究所などの研究留学の機会、自分で立案したテーマへ取り組む機会に恵まれています。これらは、家族、指導教員の竹尾先生やラボメン、友人たちがいてからこそ成り立つことだと感じ、応援している皆さんに、面白い人間になって恩返しをしなければと思う日々です(毎日感謝感激)。

オーストラリアでワーホリ中のシェアハウス(この写真にある料理、全部1人で作りました笑)
東京・八丈島で科学実験教室を開催したとき。異業種の島出身の友人から「しない?」と言われて地域の方々と組んで出張授業をしました。

3.ちょっとやばかった、今後世に残しておきたいサバイバルエピソードは?

オーストラリアの砂漠を走っている時です。ガソリンスタンドの間が200キロくらい離れていました。次のガソスタまで残り40キロで給油ランプが灯り、電波もない深夜の砂漠でストップするわけにいかなく、時速40キロを維持して燃費よく走り続け、クーパペディーという町にどうにか着きました。調べた車の限界タンク容量と同じメーターが給油されたので、本当に砂漠に置き去りにされるところでした。昼は45℃、夜は38℃の中で車中泊生活をしえおり、備蓄したポリタンクの水がもはや滅菌されたお湯の毎日でした。車のエアコンも早々に壊れ、熱地獄の車内でした。朝起きたら、車の横にラクダが寝ていたこともありました。最高のプラネタリウムを鑑賞しました。そんなこんなで3週間3500キロの砂漠を走行し、最終着地点のパースで飲んだ冷たい水は、過去一番美味しい飲み物で、はじめて水を飲んで涙を流しました!

オーストラリアの砂漠の中での車中泊。右は、旅を共にしたプロの絵描き師の友人
砂漠の中心でみた天の川。毎日がプラネタリウムの生活でした
エアーズロックからパース市内までの2400キロの道のり。この一本道を真っすぐ走った

4.生きている中で大事にしていることは?

死んだ時に、「こいつに出会えてよかった」と思われるような人生の徳を積むことです。具体的には、アメリカに住む友人が、「最後くらいアイツの顔でもみてやるか」とわざわざ自分の葬儀のために帰国して会いに来てくれるような人生でしょうか。それくらい、誰かの人生に影響を与えて、記憶に刻めるように、目の前の世界に笑顔を増やすことを大事にしつつ、マクロな世界も変えていける影響ある活動に取り組みたいと考えています。それもあり、「何を成し遂げるかでなく、自分の目に映る世界に何を残していけるか?」を意識しています。

広島の山奥で、ゴギの標本調査の研究にお邪魔したとき
生成AIツールを用いた未来予想図ワークショップ教室を長崎の県立美術館で主催したとき

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▼紹介記事1▼

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