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「都合のいい人」にならないために:元ひきこもりの半生記

こんにちは。私はひきこもり経験者で、40代の男性です。ひとりっ子として育ち、長い間「いい人」として生きてきました。しかし、その結果、私は「都合のいい人」になってしまい、自分らしさを見失い、本当に大切なものを失いました。

この記事では、私の経験を通じて、同じような思いをしている方々に「都合のいい人」にはならないで欲しいというメッセージを伝えたいと思います。

元ひきこもりの半生

私は幼少期から成人期にかけて、両親や周囲の人々に「いかにして嫌われないか」を常に気にしながら生きてきました。学校でも頼み事は断りきれず、なんでも要求を受け入れてきました。ひとりっ子の私は、「嫌われる=孤立」と考え、孤立を防ぐために他者の要求を受け入れなければならないと感じて育ちました。

「都合のいい人」としての生活

友人とのゲームの貸し借りでは、「あいつに言えば断らない」という噂が広まり、格好のターゲットとなりました。貸したゲームが返ってくることはなく、進学や就職も「親の第一志望」を優先しました。私の夢を叶えることより、親が喜ぶことが重要でした。また、両親から「親に恥をかかせてはいけない」と言われ、この価値観が根底にありました。

大人になってもその価値観は変わらず、「所属する組織に迷惑をかけない」「周囲の人に嫌われない」ことが働く目的となっていました。そのため、出来ない仕事を引き受け、困っている人には積極的に手を差し伸べていました。

自己の喪失

失ったものは2つあります。ひとつは心身の健康、もうひとつは信頼です。

健康に関しては、職場で3回ほどうつを発症しました。「人から嫌われてしまったのではないか」と感じると、職場に近づくだけで動悸が止まらなくなり、職場で同僚からあからさまな悪態をつかれると、帰りの駅で何度も飛び込もうとしました。

信頼に関しては、相手の要求を飲むほど信頼が下がっていました。今振り返ると、要求を果たせていないことで信頼を失い、相手の意見に従うだけの主従のような関係性になってしまっていました。

回復と新しい価値観の発見

ひきこもりになったことで、他者との関わりが一切なくなりました。ひきこもり時には、周囲にあれだけ気を使って生きてきたにも関わらず、手を差し伸べてくれる人はほとんどいませんでした。むしろ、悪評を流されたり罵声を浴びせられました。嫌われないように生きていたにも関わらず、多くの人に忌み嫌われてしまいました。私は「いい人」ではなく「都合のいい人」でしかなかったのです。

反面、どれだけ嫌われようが生きていけることを知ることができました。ならば自分の心に正直に生きてみようと、開き直りに近い心境になりました。これが正解でした。自分の心に正直に生きていると、かえって人から信頼されることに気がつきました。もちろん、衝突したり嫌われることもあります。しかし、今は「都合のいい人でなない」と確信を持って生きていけています。

読者へのメッセージ

この生き方に変えて最も良かったことは「自分のことが好きになれた」ことです。これは真の幸せのように感じます。他者を思いやり、自己犠牲ができることは人間の素晴らしさですが、最も大切にしなければならないのは「自分自身の人生」です。

読者の皆さんには、自分を大切にし、他人の要求に応えるだけの「都合のいい人」ではなく、自分の心に従って生きることの大切さを伝えたいと思います。

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